(第4版)“教師退任勧告決議”批判と克服をめぐって −「法」の日本基督教団から「開かれた」日本基督教団への訴え(2007 北村牧師支援)

2007.12.13 加筆執筆

(サイト記)本テキストは11月〜12月に、少なくとも3回加筆訂正されており本稿は第4版になる。

(この論考は11月4日「かながわ明日の教団を考える会」、11月11日「関西神学塾」(第2版)で発表したものを加筆・訂正した「第3版(2007,11.20)」を更に加筆したものである。佃真人氏の資料を参照にした。感謝を持って付記する)

(明治学院教会牧師、「北村慈郎牧師を支援する会」世話人副代表、74歳)

1.はじめに

 日本基督教団はまた一つ負の歴史を担った。かつて、天皇絶対主義国家が宗教団体を国家統制し戦争体制に統合するため「宗教団体法」によってプロテスタント諸派に規制と弾圧をかけた。その「法」に顕示された権力支配に屈伏する形で成立した日本基督教団は「成立とそれにつづく戦時下……のあやまち」を文言化して表明した。1967年の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」である。それは、少なくとも「教会」を一般史における歴史的存在と自覚し、そこで軌跡を残している負の歴史を担って歩み始める決意を表明したものであった。「沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同のとらえなおし」の課題などを抱え、紆余曲折・拙速・力量不足・錯誤はあったにしろ、あれから40年、負の歴史を償うべく「日本基督教団」を自覚する者たちは多面にわたってその活動と思索を続けている。

 だが、この「教団」には、教会をそのような意味での歴史存在とは自覚せず、歴史を教義的「救済史」に収斂して、教会はその「救済」を「世」に具現すべく使命を委託されたものと理解する構成員がかなりの比重で存在する。端的な表現を明示すれば「世界の希望たるキリストにある福音の喜びを社会の混迷の中にもたらす日本基督教団でありたい」といった信念を述べ、この40年を、伝道の不振と総括し「神」に懺悔すべき「荒野の40年」と捉える(第35回教団総会 議長総括報告)。そこでは日本基督教団は「教団信仰告白」と「教憲教規」という歴史捨象の「教義の認識」と「法」を根拠にして「具体的姿を現している」という。

 福音理解や宣教理解の相違が歴然としてあることは事実である。しかし、この認識の相違に立ってなお、歴史的共同体としての教会であり続けようという努力が重ねられている部分はある。

 例えば、神奈川教区基本形成方針(1994年)などに見られる「忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立場を相対化できるよう神の助けを祈り求めることによって、合意と一致を目指すことができると信じる」などの表明である。ここには歴史への認識において開かれた態度がある。

 しかし、もう一方で、そのような自己相対化の視座に「神」を見ることを許しがたいと考える部分に身を置く人たちが、会議制のルールに立ったとはいえ「政治的多数派工作」の上で、教団の決議機関を多数によって支配し始めた時から、教団は一元的支配に向かって暴走し始めた。それを私は第39回総会(1996年)からと見る。その延長線上に、今回の「負の歴史」としか評し得ない出来事がある。

2.経過

 2007年10月23日、日本基督教団 第35総会期 第3回常議員会は議長提案による「北村慈郎牧師に対する教師退任勧告を行う件」を議題として上程し、29名中16名の賛成で可決した。この過半数の16名は先の総会で熾烈な選挙工作で確保された数である。決議の理由は、同牧師が「未受洗者の陪餐」を実施したことが、教団の「信仰職制委員会」の答申によれば「教憲教規」に違反する。それゆえの法的処置としての退任勧告だ、とのことである。論拠は7月常議員会に議事中に懇談会を設け、山北宣久議長は北村慈郎牧師に聖餐についての発題を要請した。議事録はとらないことが両者の往復書簡で交わされた。記録がないということはそこでの発言を証拠として何らかの行動を起さないという保証であることが信義であるはずであった、が記録はなくても「公的な発言」(教団新報4640)だと議長は踏み切った。ある人は「騙し討ち」と表現する。「(未受洗者陪餐という)異なる教会の在り方を主張、実践するのであれば、日本基督教団という教会においてではなく、独自の教会を建てられるべきであります」との主張が勧告の内容であった。

 筆者はその会議の場に居合わせたわけではないので、会議の状況には触れない。会議の推移を描写している同人誌「風」(22号)のリポートによれば、討論は主張の形式的応酬であり、基本的質問への答えもないまま怒号のなかで強引に採決・可決されたようだ。同誌に梅崎浩二氏(常議員)が「意見を異にするものは罠に掛けてでも始末しようとする陰湿にして粘着的な謀略体質の存在をはっきりと見て取ることができよう……西田常議員が“長年忍耐しつつ対話を大切にして来た神奈川教区の努力を無にする形で教団が介入するようなことは止めてもらいたい”と顔面を紅潮させてまで語った」と記しているのが印象に残った。西田氏は北村氏と神奈川で教区を同じくするが、教団への関わりのスタンスは日頃異にしているだけに、逆に会議の多数派支配の強引さが目に浮かぶ。参加した紅葉坂教会信徒は、当該教会の質問にも答えがなく、会議は「虚しい」の一語につきると語るのを筆者は聞いた。

3.北村慈郎牧師

 北村慈郎牧師は『福音と世界』(2006年1月号)に自らの主張を述べている。補教師になって最初に赴任した足立梅田教会の聖餐式は浅野順一牧師が行った。「洗礼を受けていなくても聖餐に与かりたいと願う方はどなたでも」の言葉が印象に残ったと言う。主任牧師を務めた御器所教会は、70年代問題の最中であった。信仰の理解において相反する立場の信徒が十分な対話がないまま、信徒であるゆえに演出される教会の一体幻想を聖餐が作るのなら、と拒否者がいたことに心を痛め、問い掛けを受けたという。

 紅葉坂教会に赴任した。前任者・岸本洋一牧師は「未受洗者は待つように」との呼び掛け無しで聖餐を行っていた。同氏の『礼拝と音楽』(1977年 第12号)「現代における聖餐」を参照すれば、文言化しないまま未受洗者陪餐を許容していたと思われる。そこの明確化を役員会から求められ、聖餐問題の研究を開始する。神田健次氏、荒井献氏など神学者、聖書学者を招き教会ぐるみで学習をする。世界教会の潮流・新約聖書の根拠は「開・閉」いずれへの解釈も可能で、その選択は現代の執行者側にゆだねられていることを学ぶ。北村氏は6項目提案を役員会に提案(教会規則第8条[聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする]の削除を含む)し「開かれた聖餐」に踏み出す。

 教会総会は83名中73賛成、反対7で可決。聖餐は惠みの伝達であるが、イエスの出来事をどう理解するかで幅がある。「この世の最も小さくされたもの」に開かれた宣教を教会の方向性とする時、戦時下の戦争協力のもとでの聖餐と現今の聖餐の連続性を問わなくてはならないという。

「現在 日本基督教団に所属する教会で執行される聖餐は、戦争責任の問題を避けては通れない」(cf.p.40)と論旨は明確である。そこには、戦争がいかに残酷に「この世で最も小さくされたもの」を抹殺してゆくかが認識されている。さらに「退任勧告決議」後、同氏は『福音と世界』(2008年1月号)に寄稿し、

「聖餐の本当の問題はクローズかオープンかということではなくその聖餐において排除がないかどうかである」と提示し「洗礼も聖餐も神の惠みであるイエスの出来事への教会の応答であり、神聖化してはならない。神の惠みであるイエスの証言集である聖書と真剣に向かい合うことにおいてひとつであるなら、多様性を前提にしてお互いにイエスを求めて歩めばすむことである。従って、教会が真に闘わねばならない相手は、この多様性のなかで自分のみを絶対化する人間の奢りだけである」(北村慈郎『福音と世界』2008年1月号 所収)

 そうして一連のやり方で同氏をここまで追い込んだ「山北議長のなかにこの奢りはないであろうか」と問うている。穏やかな言葉に秘められた指摘に同感である。

3.上程・決議への批判

 上程及び可決後、この「上程・決議」への批判の動きが教団で起きている。常議員の一人、この「議案と可決」への批判者佃真人氏は『問題に関する経過』で、各地の諸行動、諸文書をまとめている。それの中から羅列すれば、可決前「北村慈郎氏への『教師退任勧告』に憂慮を覚える有志の会」は「議案の取り下げ要望書」(瀬戸英二他の呼び掛けで2268余名 [教会数262他教派を含む]の署名)を、可決後「抗議と要求(撤回)」署名運動を展開している。

 6教区常置委員会、1教区議長、及び紅葉坂教会役員会からの「議案取り下げ要望書」が出された。常議員・佃真人氏以下21名の抗議書、紅葉坂教会の抗議書、兵庫教区教育部委員会見解。西宮公同教会と菅沢邦明教師からは未受洗者陪餐を30年ほど前から補教師の資格のまま実施しており「退任勧告」が決議されればその理由を述べる、と全常議員へに意見表明がなされた。

「かながわ明日の教団を考える会(世話人代表・北村慈郎)」は11月4日緊急集会を開き36名が出席、筆者が発題し、協議した。結果「神奈川教区宣教方針」の線で、教区内教会・信徒に広く問題を知らせ「決議撤回要求」の署名活動の開始を決めた。兵庫教区は「緊急協議会」および北村氏を交えて「考える集い」を実施。これらの動きは、今後ますます広がるであろう。

4.教団内の重要問題の扱いについて

 まず、特に信仰上の問題での見解の相違についての取り組みの仕方については、「法的措置の前に必ず神学的議論の領域が設定されることが必要であろう」([会派問題についての報告]『教団史資料集 第3巻』p.128、1950年10月)の事例にならうことが不可欠であるが、この度は、議長がその認識を持っていない。これは批判されるべきである。

 現行教憲教規の文言を尺度にして、多数決で神学上の問題にまで決着をつける方法は、ますます亀裂を招き、結果、多数決による決定が、それに従わない少数者を、理由をうまく付けたとしても、排除することになる。

 筆者はいまガラテヤの信徒への手紙を講解しているが、パウロは、律法主義の自己完結的論理を批判している。山北論は「教憲教規」をただ一つの尺度とした自己完結的論理であり、閉ざされた論理である。ユダヤ律法主義者及び回心前のパウロが、ヘレニストキリスト者のステパノ一派への迫害を行った論理と同質である。割礼の相対化は絶対に許せないと、律法の延長上に「神」を見る。パウロはそれに荷担したが、回心後には「十字架につけられしままなるキリスト」(文語、ガラテヤ 3:1)に「神理解」を変化させ「十字架を媒介としての共生」を計る。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は、皆呪われている」(3:10)とのパウロの論述に従えば、律法の自己完結的な適用では、人を排除はできるが「共生」の可能性を閉ざしてしまう。福音の逆説に依拠しない「福音主義」は教会の実態を形骸化させる。(なお、この事を含めて、筆者は山北宣久氏宛に2007/11/6付けで書簡を送った ▶️「山北氏への手紙」)

 自己完結の論理を避けて「共生」を目指すのが「神奈川教区宣教方針」であり。苦心の末可決されたが、その背景には、今日の教団の現状を身にかぶった宣教論の積み上げがある。それは同時に、価値観の異なる諸民族・現世界への開かれた思想的視点の核をもつ。多様性の豊かさ、また多文化共生時代の福音の在り方へと道を開く。

5.「教師」の進退に対する常議員会の権限について

 教師の進退に関わる教団の直接介入は、戒規手続きによる以外に認められていない。教区を飛び越え、また、教師問題を扱う委員会の議を経ないで、特定教師の進退に介入することは、会議制の枠を犯す「教規違反」である。議長は「教団が教会でありつつけられるか否かの大切な問題」(前出新報)と「聖餐問題」を位置付け、教規39条⑤の議長の「発議」行為と強弁するが、それをいうならまさに「法」の自己完結性に身を隠した「奢り」にすぎないであろう。

 先に触れたように、現在の教団の教会政治的状況は「諸教区での総会議員選出」に多数派工作が行われた上で、見解を同じくする多数者によって占められるように計られている。多数者を前提にして「懲罰的議案」が上程・可決されるに至る過程は「権力犯罪」に等しい。このことは、ある特定政党が絶対多数を占めている事の上に法案の強行可決を実施してゆく状況に似ている。本来民主主義は少数者の中に「神の声」を聞く耳を、権力者が持った時に始まる。議長の「発議」権は「法」の形式的悪用にではなく、少数者の救済にこそ発議されるべきである。それが「教憲教規」の精神というものであろう。

6.聖書的根拠の視点

 福音主義教会(プロテスタント)は、聖書を唯一の規範とする。他の教会的諸伝統(規則)が聖書的根拠に基づかない場合は、規則への不整合を理由として教会や教職を排除の対象とすることは、聖書原理に反する行為である。現在、聖書学的に見て、未受洗者を聖餐から排除する明確な根拠は聖書からは出てこない。聖餐論に「教憲教規」を優先させるべきではない。

7.「教師」の召命への軽視の視点

「私を母の胎内にあるときから選び分かち」(ガラテヤ 2:15)はパウロがエレミヤなど預言者に倣って言った言葉。一人の教師の誕生もそれと同質である。一人の教師は、教会の祈り、本人の決断や学びなど幾重にも重なる「神の導き」としか表現できない出来事の連鎖によって成り立つ。そこにはその召命の受け皿としての「教会」が存在する。また教師はそこで養いを受ける。教師と教会との関係は密接である。この度の決議には北村慈郎牧師を育て、かつ招聘した紅葉坂教会への言及は全く無い。それは、発議者議長始め常議員会多数者の奢りの現れ、そして教会の軽視としか言い様がない。特に、教団は合同教会であり、現実に、合同前の教派教会の諸伝統は「教憲教規」との関係のぎりぎりの線で生きている。各個教会を全体教会に優先させる教会観の教会にとって、教会と関係なく「教師退任勧告」など許せるものではない。議長は「教団が立てた教師を各個教会が招聘する」という、これは本末転倒である。教団は教師を立てる教会的手続きを委託されているが、各個教会なくして教師の誕生は有り得ない。

8.未受洗者陪餐の執行ははたして教憲教規違反か

 教規には未受洗者に対する配餐禁止規定の明文はない。教規第6章(第134条−140条)に「陪餐会員」を「信仰を告白しバプテスマを領したもの」と規定しているところから、「陪餐」者はバプテスマを領したもので、未受洗者を除くという推測が成り立つに過ぎない。

 明文の禁止規定がない場合は、教規を広く解釈する立場をも受け入れるべきであって、その推測をあたかも明文規定かの如く解釈して、懲罰的措置をとるのは「法」の恣意的解釈をもって行う「教憲教規主義」のそしりを免れない。

9.未受洗者者陪餐への模索の必要性

 現代は、宣教の展開において、既定の事柄に固執しないで、新しい教会の実践が求められている時代である。特に、聖書学の展開により、キリスト教の初期歴史の成立が明らかになり、キリスト教そのものの規定が問われている。

 伝統的定義では「イエスをキリストと認め、その人格と教えとを中心とする宗教」(広辞苑)とあるが、「イエスにおいて人間の本質と可能性を知り、イエスの生死に学ぶ宗教」(「人間の本質と可能性」を、”キリスト”、”メシヤ”と置き換えは可能」。佐藤研『福音と世界』2007年10月号 p.32「キリスト教はどこまで寛容か (3) − キリスト教を再定義する試み)とまで問題意識を持つ聖書学徒は提起する。

 日雇い労働者の町・釜ヶ崎で、オープンな聖餐を執行するカトリック司祭・本田哲郎神父の実践は、北村氏の「この世で最も小さくされたものに」「開かれた」教会と重なる。

 このような時代にあって、少なくとも洗礼と聖餐の事柄の互換性と順序を現実的に解釈し、実践する教会や牧師が存在することは、我々への「神」が起こされる問題提起であり、決して消極的に考えてはならず、これを契機に、開かれた神学的思考を教団・教区・各個教会的規模で宣教論と共に展開すべきである。

 今や、キリスト教は、教義の固執にこだわるだけではなく、並行して、教義の歴史的意味を検証しつつ、その相対化の視座を、イエスの生と死において再吟味すべきである。その具体的戦線として、このたびの「北村慈郎牧師に教師退任を勧告を行う件」可決の暴挙の現実がある。

 これを批判的に克服してゆく努力をしてゆかなくてはならない。その目指すところは、イエスの生涯を貫く「貧しきもの」「虐げられたもの」「差別されたもの」へ開かれた存在であるかどうかである。自己の実存を問い、また教会の在り方を問うことが課題であろう。日本基督教団の心ある友が、歴史を自覚し認識する教会として「戦責告白」以後、歩んできた方向性を大切にして、ほほ笑みを持って歩んでいる北村牧師を包み込んでこれからの歩みを続けてゆきたい。

10.開かれた聖餐

 なお筆者は、現在日本基督教団「隠退教師」であって、教団の教会の責任は持っていない。しかし、神戸教会主任担任教師であった時代、阪神淡路大震災の直後の、最初の聖餐式を「お受けになる志をお持ちの方はどなたでも」と「未受洗者」を含めての聖餐に踏み切った。それは「地震」を契機にしての内的問い掛けであった(▶️「牧会の日常で洗礼と聖餐を考える」)。役員会はそれを事後、討議し承認し、総会はその報告を承認する事で、教会が、いわゆる「開かれた聖餐」に踏み切った。その論理は割愛するが、北村慈郎牧師の主張と重なる部分が多い。現在、単立明治学院教会の「牧師」の奉仕をしているが、ここでも協議の後、「開かれた聖餐」に踏み切っている。

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