信がすでに来たった今(2007 礼拝説教・ガラテヤ⑧)

2007.10.28、明治学院教会(92)、降誕前 ⑨

(牧会49年、単立明治学院教会牧師 2年目、健作さん74歳)

ガラテヤの信徒への手紙 3:23-29

”信が来る前までは、我々は律法によって保護下に置かれ、信が啓示されるにいたるまで閉じ込められていた。つまり律法は我々をキリストへと導く養育係となった。我々が信から義とされるためである。信がすでに来たった今となっては、我々はもはや養育係のもとにはいない。何故ならあなた方は皆、信によって、キリスト・イエスにおいて、神の子なのであるから。つまりキリストへといたる洗礼を受けたあなた方はみな、キリストを着たのだ。もはやユダヤ人もギリシャ人もいない。奴隷も自由人もいない。男と女ということもない。何故ならあなた方はみなキリスト・イエスにあって一つだからである。あなた方がキリストのものであるなら、アブラハムの子孫である。約束に従って相続者なのである。”
(「ガラティアの諸教会へ」3:23-29、田川建三訳、『新約聖書 パウロ書簡 その一』)


1.パウロは ”ピスティス”をよく用いた。

「信頼・誠実・信実」という意味。

 ローマの信徒への手紙 3:3「神の”ピスティス”」は「神の誠実」と訳される(新共同訳)。

 ところが、”ピスティス”は、他の箇所では、多くは「信仰」と訳される。

「信仰」は人間の側の態度や振る舞いを意味することが多い。

 今日の箇所(ガラテヤ 3:23-29)で ”ピスティス”は5回用いられるが、新共同訳は全て「信仰」と訳している。


 例えば、23節「イエス・キリストへの信仰」とある(新共同訳)が、原文は「イエス・キリストの”ピスティス”」である。「〜への信仰」(新共同訳)、「〜に対する信仰」(口語訳)では、意味が真逆になる。


 最近(2007年8月10日)出版された田川建三訳(「田川建三 訳著『新約聖書 パウロ書簡 その一』2007、作品社)では「キリストの信」(田川訳「ガラティアの諸教会へ」)とあり、個々人の信仰や人間の態度の問題ではなくて、「キリストが信頼していること」「キリストが到来した」という客観的出来事を意味している。


 この23節について、佐竹明氏は注解書で次のように書いている。

”23節は「信仰が来る」という表現で、歴史を二分する出来事をとらえる。「信仰」は、ここでは第一には、人間の態度をあらわす言葉ではなく、むしろ個個人の信仰を含めての世界全体を規定している神から与えられた新しい現実を指しており、いわば客体化されていると見るべきであろう。”(『ガラテア人への手紙 現代新約注解全書』新教出版社 1974、p.333)


2.25節を田川は「信がすでに来たった今」(田川建三訳)と訳す。

”信がすでに来たった今となっては、我々はもはや養育係のもとにはいない。”(「ガラティアの諸教会へ」3:25、田川建三訳、『新約聖書 パウロ書簡 その一』)

「信」には応答としての「信仰」も含めて、新しい時代の到来の変革宣言の意味がある。

”ピスティス”が「神の真実」・キリストが人間に関わる「信」を意味することは、この箇所の大事な点。

 内容的には「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」の姿(3:1、文語訳)を含む。

3.パウロの論点は、ガラテヤの人々が「キリストの出来事」以前の生き方をまだ残している不徹底への叱責にある。

 例えば、ギリシア人キリスト者とユダヤ人キリスト者の共なる食事の(不徹底の)問題。

4.次に、パウロは律法の救済史における位置付けを養育係(ギリシア・ローマの裕福な家庭では子女の教育を任せる奴隷がいた)と表現する。

”つまり律法は我々をキリストへと導く養育係となった。”(「ガラティアの諸教会へ」3:25、田川建三訳、『新約聖書 パウロ書簡 その一』)

5.26節を田川は次のように訳す。

”何故ならあなた方は皆、信によって、キリスト・イエスにおいて、神の子なのであるから。”(「ガラティアの諸教会へ」3:26、田川建三訳、『新約聖書 パウロ書簡 その一』)

「信 ”ピスティス”」と「イエス」が等置されている。

6.「洗礼」とは「信がすでに来たった今」の恵みの徴(しるし)である。

 人間的な状態を超えた客観的なもの。

 人間は「洗礼」を通して「キリストの信」の確かさを徴(しるし)として確認する。

7.作家・中山義秀(ぎしゅう 1900-1969、横山利一と級友)。

『厚物咲(あつものざき)』で芥川賞。「求道と孤独の作家」(田宮虎彦評)。

 1965年、食道ガン後、白血病。

 中山は、門場義久(もんまよしひさ、1916-2000、朝日新聞記者・牧師)に、病床で急に受洗を願う。

洗礼を受けたという事実を頼りにしたいのだ。力になってくれ

 門場は涙を抑えて茶碗の水で受洗を行った。

広い世界が目の前に開けた気がする

「主の祈り」を唱え、アーメンを唱和。

 翌日、中山は平安のうちに天に召された。



礼拝説教インデックス

◀️ 2007年 礼拝説教

山北宣久氏(日本基督教団総会議長)への手紙(2007.11.5)

(第2版)“教師退任勧告決議”批判と克服をめぐって
ー「教憲教規」のキリスト教から「共生」のキリスト教へ(2007.11.11)

◀️ 健作さんのガラテヤ講解説教(全17回)

◀️ ⑦「昔々約束があった
▶️ ⑨「目に見えない財産