浪花教会130周年に寄せて(2006 回想・同志社時代)

2006.11.21執筆、掲載誌不明

(明治学院教会牧師 健作さん73歳)

 同志社の神学部3年の時、1954年の4月から一年間フィールドワークの派遣実習生ということでお世話になったのが浪花教会との最初の出会いだった。

 三井先生の指導で、土曜日夜、若い人達と集会を持ち、また懇談などして親しくなるために、此花(このはな)区の「大信洋行」の社員寮に出掛けて泊まった。僕だけが南京虫に毎週喰われた。新人への歓迎なのだ、とずーっと思っている。浪花教会の原体験は南京虫。クリスマス集会の最中、牧師室に掛けて置いたオーバーを「空き巣」に盗られた。「アメリカ中古市場」の安物だった。役員の有志がカンパで、同じ「アメ中」ものだけど上等なものを買ってくださった。こうやって「牧師の卵」は育てられるのか、と感謝と共に心に深く刻み付けられた出来事だった。

 おおらかな三井久牧師の人柄とそれを囲む人物像群のせいか、浪花ならではの「組合教会」の雰囲気を感じた。関西でそののち経験した代表的「組合教会」、京都教会・神戸教会にはない庶民性があった。当時、日本基督教団は「社会大衆への伝道」という開かれた宣教理論を構築していた。それは後「関西労伝」などに具体化するが、浪花はその核になっていったように覚えている。

 友人三好博さんが主任牧師になってから、その色合いが一段と深められた。リベラル、社会性、自主性に加えて、地理・交通の条件もあり浪花教会は大阪のキリスト教文化と宣教活動のセントラルな教会として歩んできたと思う。

「岩井君(父のこと)のところの子供を養子に」とかつていったという三井先生の言葉が実現していたら、「三井健作」が誕生していたかもしれないエピソードや、同志社此春寮、神戸教会神学生以来の親しいお付き合いで魅力尽きない三好さんの思い出と共に浪花教会は私にとって何番目かの魂の故郷の教会である。

 百三十年の創立記念日を心から祝福し、先人の後を継ぎ、ますます地域の宣教に励まれんことをお祈りします。

三好さんご苦労様でした(2003 出会い)

三好博さんの人柄と運動(2003 出会い)

浪花教会(2003 教会と聖書13)