阪神大震災とキリスト者(3/5)

阪神大震災とキリスト者(3/5)

 私は地震を通じての恵みなんて言ったらちょっとおかしいけれども、地震は実にたくさんの人を出会わせたと思うのです。私の教会の教会員に米屋さんが居りまして、中山手通に店をもっています。三宮の震度7からはちょっと外れたところです。グラッと来て、古い家ですからもちろん瓦は落ちて、倒れかかったわけですけれども、近所に住んでるマンションから出てきて、自分の店を見たなら立っているわけです。

 その朝そのご夫婦が何をしたかというと、とにかく電気が来ているということ、それから水は近所の家の井戸があるという事で、水を汲みにいって、近所の家を歩きまわって電気釜を26台借りてきたんです。それであっちこっちから電気を取ってきて、そして自分のところの米を研いで、どんどん炊いて、そして、近所の人を動員して握り飯を作ったのです。あの朝、握り飯を食べさせたのです。本当に長い行列だったそうです。

 それで、私が行きましたら、

「先生、えらいことや!近くのユダヤ教の会堂には、下に過越の祭りの時に食べる乾パンがたくさんあって、あれを早速配った、ユダヤ教は大したもんやで、神戸教会は何もおいとらへん!」

 本当にプロテスタントの教会は置いてないんです。とにかくその朝、握り飯を作った、そんなのを聞いて、TBSが取材にテレビ取材に来たそうですけれども、この米屋さんは本当に分け隔てなくいろんな事をしたんです。すごく出会いを大切にする人です。

 そして、自分に何ができるか、いざというときに握り飯が作れる人なのです。握り飯を本当にたくさん作り、そして米を自分のところで精米して、とにかく米を配ったんです。

 この人も、水を、米を、握り飯を媒介にし、その他いろんな事を媒介にして、本当に地震でたくさんの人に出会った人です。いろんな事が揺れてしまった時に、自分の固定観念を一度捨てて、出会いの方向に向けて生きていく事を選び取った方です。

 私は地震の災害の特徴ということについては、局地性と、弱者性と、個別性という3つのことを考えなければいけないかと思っているのですけれども、これは私が「福音と世界」(「被災地の一隅から その1」1995年4月号、拙著『地の基震い動く時』に再録)に書かせて頂いた文章です。

「被災の局地性ということは、それを負った者と負わなかった者の違いが大きく、その断絶も深いということである。ある人は死別を経験し、住居を失い、職業を失っている。が他方、同じ区内にいながらも何も失っていない人がある。都市機能が失われているという意味では、多くの市民が被災者である。歩いたり、自転車やバイクを使ったり、車の渋滞にまき込まれたり、水汲みをしたりの生活が相当期間続いて、みな疲れが出て来ている。他都市、他地方の人には理解しがたい状況であろう。そういう意味で、極度の被害に出逢った者からはじまり、被災都市に住むという程度の意味で被災者である者まで、濃淡があり、それぞれの立っている地点は異なっている。これはみんな立っている地点が異なる。」

 こういう意味では地震体験は個別的であると思います。

 その中でも、地震が弱者を襲った差別的人災としての性格をもってしまったということは、かなり早い時期に本多勝一氏が「週刊金曜日」(2月3日号)に書いておりますけれども、同じ災害を受けても復元力の弱い弱者の所へ矛盾が寄せられて来るというのが現実です。

 そういう意味で局地性や弱者性ということにつきましては、これはもう施設で皆様がお感じになっていらっしゃることだと思います。

 これは朝日新聞(1995年10月28日)に、兵庫県被災者連絡会がボランティアを動員して、元の避難所、現在は待機所、テント村などにいる1113人の人を訪問した事に基づく資料が載っています。調査対象の22%の人が無収入だという現実が出ています。行政は仮設を全部用意したんだと言います。ところが仮設1000戸が空いております。そこに入らないのは、お前たちが我儘なんだっていうかたちで8月20日に災害救助法を打ち切りましたけれども、そうではないんだという事を示す貴重な資料です。

 収入のない人は遠くの仮設では生活ができないのです。横道にそれますが、最近新聞の取材姿勢が全体として行政寄りになっていることが気になります。