父の思いやり(1976)

1976年2月15日 岩国教会週報
「先週説教より」ルカ15:11-24

(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)

そこで彼は本心に立ちかえって言った(ルカ15:17)

 放蕩に身をもち崩す息子の立ち返りを待ち、彼を迎える父の物語は福音書の譬え話の中でも殊更に感動深い物語である。この物語のポイントは「なぜ息子が本心に立ち返ったか」にある。私たちが自分中心の生き方をどこかで変えるということは、考えているほど容易なことではない。特に若いうちは、また自信のあるうちは、他人の忠告などというものは耳に入らないものだ。また、少々おかしいことが分かっていても、自己正当化の余地があるうちは、そこを逃げ場とするのが常である。私は自分の姿の中にこういったものを見るとき、本当に嫌になってしまう。行き詰まったら自分が変わるという"艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす"といったことも、ある面では真理であろう。けれどもそれはきっかけであるに過ぎない。譬え話では、息子のたどる行き詰まりを、それなりの必然として敢えて寄り添わないで待つ父の厳しい「思いやり」が彼を本心に立ち返らせる。父は一段高い所から導こうとはしない。だが、待ち、耐える。私たちはここに、人間の自由を支えるものの尊さを知らされる。

(1976年2月8日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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