見出す恵(1975)

1975年12月7日 待降節第二
岩国教会週報「先週(待降節第一)説教より」ルカ1:26-38

(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)

恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです(ルカ1:30)

 ここで「いただいている」と訳されている語彙は、直訳すれば「見出した、悟った、知った」という意味です。「恵み」というのは、聖書辞典が語るまでもなく、何か事物ではなく、神が人間に愛の意志をもって人との間に築かれた信頼の関係そのものを指しています。ルカ福音書は「恵み」について「主があなたと共におられます」(1:28)と語っています。神の側で(人の側ではなく、それ故に自分の努力といったものではなく)作られた信頼の関係というものについて、根本的には、根源的には、すでに知ってしまっているのだということを、ここでは「いただいている」と訳しています。マリヤの生涯という全体から見れば、このことについては私たちもそうですが、人生には意識の上でさまざまな動揺があります。他人から見れば安定した確信に生きている人でもやはり揺れに直面しています。嘆きもあり、うめきもあります。でも神の側から作られた信頼の関係に一度目を開かれたことは、消そうとしても消えないものです。そのことには忠実であり、さめた目を開いていたいと思います。「いただいた」というと、至極受け身のようですが、事実「認識」は極めて「主体的」なことであります。「見出している恵み」に根を置いて、生活の根本を立てていきたいと思います。

(1975年11月30日 待降節第一 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!