1992.3.1、神戸教会
降誕節第10主日
(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん58歳)
この日の説教、エペソ人への手紙 3:14-21「祈りの持続」岩井健作
”こういうわけで、わたしはひざをかがめて、天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、全ての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。”(エペソ 3:14-21、口語訳)
J.D.ディヴィスの『新島襄の生涯』(北垣宗治訳、小学館 1977)に新島の言葉が次のように証言されている。
”死の二、三時間前に彼が読んでほしいと求めた最後の聖書の箇所は、エペソ人への手紙の第三章であった。”
その第3章の終わりの部分は、まことに深い祈りであり、新島の最後を永遠と歴史の結合点として飾るにふさわしい。
私たちは、自分の最後を包む聖書の言葉への修練を積み重ねているであろうか、と反省を促される。
エペソ3章14節〜21節の祈りは、4つに区分される。
(1)祈る姿勢(14節)
(2)祈る相手(15節)
(3)祈りの内容(16節〜19節)
(4)頌栄と讃美(20節〜21節)
(1)祈る姿勢「膝をかがめて」(エペソ 3:14)
ヘブルの人々は、両手を広げ、掌を上に向け、立って祈った。
この慣例を破る真剣さ、切実さ、熱意が私たちを撃つ。
(2)祈る相手「天上にあり地上にあって『父』と呼ばれているあらゆるものの源なる父」(エペソ 3:15)
「新共同訳」は次のように訳している。
”御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。”(エフェソの信徒への手紙 3:15、新共同訳)
口語訳の「父と呼ばれている」(=”パトリア”)を「家族」と訳している。
祈りが被造物のうめきと待望(ローマ 8:18以下)と共にあることを思い起こさせる。
(3)祈りの内容(エペソ 3:16-19)
4つに分かれる。
① 「内なる人」を強くして下さるように、私たちは「外なる人」の強化を求めないだろうか。「外なる人」とは何であるか、各々が自分について思い巡らしてみなければならない。(参照:コリント第二 4:8-16)
”だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。”(Ⅱコリント 4:16、口語訳)
②「キリストがあなたの心のうちに住み」(エペソ 3:17、口語訳)
「主よ、共に宿りませ」(賛美歌 38番)を思い起こす。
「キリストが住む」。味わい深い言葉。
③「すべての聖徒と共に」(エペソ 3:18、口語訳)
エペソ人への手紙は、「教会論」がその思想の中心。
「聖徒」はキリストによって贖われた民、神の民。
地上の交わりと共に、天と地と生を異にするものの交わりを含む。
教会の共同性への洞察が祈りを深める。
④「キリストの愛を知って……満たされるように」(エペソ 3:19、口語訳)
「満ちているもの」(=”プレローマ”)はグノーシス主義では知識の集積であったが、愛はそれを越えるとの主張が特質。
(4)頌栄と讃美(エペソ 3:20-21)
参照:ローマ 16:25-27、ユダの手紙25節。
”願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教により、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。”(ローマ人への手紙 16:25-27、口語訳)
”すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。”(ユダの手紙 25、口語訳)
「教会により」(エペソ 3:21)は、初期カトリシズムの兆しがある。
しかし、また”教会の大事さ”への注意も促される。
(1992年3月1日 本日説教のために 岩井健作)