”味方”を変える(1975)

1975年10月19日 岩国教会週報
「先週説教より」ガラテヤ 1:1-10

(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)

今わたしは人々を味方にしようとしているのか。(ガラテヤ1:10、佐竹明訳)
人に喜ばれようとしているのか…人の歓心を買おうと努めているのか。(同上、口語訳)

 「今わたしは」とパウロは言う。ガラテヤ教会の律法主義者から見ると、彼の言説(即ち、救いには律法に基づく”割礼”は必要)は信仰の本質論として素直に受け取れないで、あたかも異邦人(元々”割礼”そのものがない)を味方につけるための政治工作とでも受け取れたのであろう。結果的に律法主義者は「彼は人々を味方につけている」とパウロを批難した。パウロはその批難に反論してはいない。むしろ彼はかつての自分を静かに省みている。ユダヤ教的信念に人々を巻き込み、それに反する人々を迫害したかつての自分のあり方を省みている。「味方にする」(1:10)と訳された語(口語訳 ”喜ばす”)は、よい意味では「説得する、勧誘する」であるが、たとえ善意であっても「自分中心」が押し付けられるならば、そのように人を味方にする仕方は打ち砕かれねばならない。パウロは「今」(1:10)自分のことを思うと、かつてそうだった自分がキリストの恵みのゆえに、また神が味方であるがゆえに、「自分中心」から自由になりつつある自分を自覚して、反対者たる律法学者たちに語っている。人を自分の都合に合わせて味方にする生き方から変えられるためには、幾たびとなくキリストの十字架の躓(つまず)きに出会うであろう。しかし、それは前進のための踏み台であるだろう。パウロのように、恵みを思う「今」のあることが私たちにも慰めとなる。

(1975年10月12日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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