2012.9.23、明治学院教会(288)聖霊降臨節 ⑱
(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)
アモス 9:11-15、フィリピ 1:3-11
わたしは彼らをその土地に植え付ける。(アモス書 9:15、新共同訳)
1.アモス書を読んで、一句だけ言葉を選べ、と言われたら、皆様はどの言葉を選ばれるでしょうか?
もちろん人により千差万別でありましょう。
また、どの人でもその人が経験している人生の時期・場面によって異なるでしょう。
私は、今回、アモス書を再読しながら
「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(アモス書 5:24、新共同訳)
という言葉が心に残っています。
どちらかというとアモス書は圧倒的に「正義」への先鋭的な叫び、それゆえ「神の審判」の言葉に満ちています。
アモスの預言者的任務は、時代的・場所的・内容的に、神の審きを、あの「貧しい者を靴一足の値で買い取ろう」(8:6)という堕落に満ちた状況、また背信のイスラエル王国の政治的・商業的・宗教的指導者たちに語られたものでした(7:10-17)。
2.アモス書の結び
ところが、アモス書の結びの今日の箇所(9:11-15)では、イスラエルの「復興」(11:12)と「永遠の救い」(13-15)が語られていますから、読んだ時に「審判」とは違った響きを感じて「これは本来のアモスのものではない、後世(バビロン捕囚以降の神の審判理解)の預言が付加されたものだ」と考える研究者がいても不思議ではありません。
大方の理解はそれに傾いています。
しかし、日本の旧約学者・木田献一氏は、後代の付加としながらも、審判の告知が「悔い改め」を予想していることから、アモスが「救済」を語ることは、アモスの言葉として矛盾していないとします。
旧約学者・関根清三氏は、アモスが審判を語っただけの預言者ではなく、「悔い改め」を同時に語り、貧しい者へ心を砕いた預言者であるから、「義」と同時に「恵みの業、愛」を語った側面に重きを置き、この結びの箇所は矛盾なくアモスの言葉だとします。
3.創造論的信仰と終末論的信仰
「イスラエルの土地そのものが楽園のように豊かな土地に変えられ、その民は繁栄を回復して、再び土地を追われることはないと約束されている。……審判も復興も根本は神による。この確信と共に、アモスの預言は今日に伝えられたのである。」(『旧約聖書略解』木田献一、 p.986)
「初めに、神は天地を創造された。」(創世記 1:1)という創造論的信仰と「土地の《神による》回復」という終末論的信仰とは事柄の表裏を表していると理解されます。
「チェルノブイリの土地・フクシマの土地」
(核廃棄物の最終処分場を見つけるという思想は破綻しています)
「パレスチナの土地・沖縄の土地・アイヌの土地」
(搾取・略奪・占領・破壊の土地への現実認識から闘う人々への連帯を呼び覚まされます)
そこに生きる者は、いつの日にか、気が育ち、人が育つような土地への「回復と希望」を信じないでは生きられません。
4.アモス書の「土地の回復を信じ切る」信仰
「福音と世界」誌10月号(2012年)は最近の「竹島・尖閣問題」を巡って「領土問題とキリスト者」の記事を掲載しています。
その中の一文「土地は誰のものか」(月本昭男:立教大学教授・旧約聖書学者)は「神が生きる基礎として生き物に与えた、と(キリスト者であれば)信じる大地や海を我々が分割して、各自の所有物として良いものかどうか」との問いを立てています。
アモス書の「土地の回復を信じる信仰」と共に読みました。
meigaku_iwai_288