善を求めよ(2012 礼拝説教・アモス ⑤)

2012.9.16、明治学院教会(287)聖霊降臨節 ⑰

(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)

アモス 5:4-20、ヤコブ 4:7-10

わたしを求めよ、そして生きよ。(アモス書 5:4、新共同訳)

1.アモス書のこの箇所を読んでいて、私は子どもの頃を思い出しました。

 今から68年くらい前の日本の国の状況です。

 太平洋戦争の時代、天皇絶対の軍国主義でした。

 小学校では毎月初め、全校生徒が教師に引率され、氏神様に”戦勝祈願”のお参りをしました。日本が戦争に勝ちますように、そのために神風が吹きますように、そして戦地の兵隊さんを守ってください、ということだったと思います。

 ”神風”というのは「蒙古来襲、元寇」の故事に因んだ言葉です。1274年と1281年には約10万の兵で元軍は壱岐・対馬を侵攻し、博多に迫りましたが、二度とも大風、すなわち神風が起こって、全軍沈没をしたという故事です。

 これは後に、宗教は国難を救うことに使われ、日本の国家神道(国家と宗教の分離を超える)は、「神風」を求める戦争遂行の精神的柱となり、靖国神社・伊勢神宮はその中心となり、神社神道(本来は宗教)はその構造に統括されました。

 キリスト教でも、宗教団体法で統合(日本基督教団の成立)が行われ、必勝祈願・祈祷会が行われました。戦争遂行の宗教政策の一環でした。

2.「ベテルに助けを求めるな ギルガルに行くな べエル・シェバに赴くな」(アモス 5:5)

 は、当時の国家宗教の祭壇で”神風”を祈るほどの場所でした。

 ”神風”はアモスでは「主の日」(5:18)でした。

「主の日」信仰から自由になって、

わたし(ヤハウェ・主)を求めよ、そして生きよ」(アモス 5:4、新共同訳)

 は国家宗教の拒否という、凄い個人の決断を含んでいます。

 アモスは当時の宗教国家の側からは「反逆者」の烙印を押されました(アモス 7:10-13、前週説教「反逆者」)。

 民衆に習慣化させられた巡礼や供儀や農耕の豊作祈願が、結局は人間的利害に「神」を従属せしめるものであるならば、「<救い>の人間的取り込み」であって、ヤハウェ宗教本来の神関係(命・魂・人格を生かす関係)ではないことを「わたしを求めよ」の一句が鮮明にしています。

 民衆が「生き延びる」ための保証とした祭壇の神概念の大転換をアモスは求めたのです。

 新約で言うならば「神を愛することから、神が私たちを愛したこと」への主語の大転換です(ヨハネの手紙一 4:10)。

3.「善を求めよ」(アモス 5:14)

 さて「善を求めよ」(アモス 5:14)は「わたし(神)を求めよ」との内的つながりで語られます。現代的に言えば「宗教と倫理」の問題です。

 頭や口先だけの信仰者ではダメなのです。

 旧約学者・関根清三氏の言葉で言えば、

 最終的判断は神の「憐れみ」(5:15)に委ねられつつも、それに関わるものとして、神に対する能動的な働きかけが語られている。つまり、人間の主体的な歴史形成の責任と、それでも歴史を超えるものへの信仰とのバランスが説かれている。」

 とあります。

 またA.ヴァイザー(Artur Weiser:ATD旧約聖書註解監修者)は

 神への献身は、善に対する服従への真の源泉だからである。

 と別の面から言っています。

4.今わたし達の社会は

 今私たちの社会は「経済性か命か」という問いに直面しています。

 福島の母親たちに始まる決断は「個人の内面の事柄であり、その集積として多くの人が原発には頼らないと決めたのである」(東京新聞 名古屋本社、深田稔 論説主幹 2019年9月15日)と指摘しています。

 信仰は個人のことであり「善を求める」決断は個人の決断です。

 しかし、同時に経済と効率の社会を拒否する原動力であることは希望です。

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