1984年10月14日、聖霊降臨節第19主日、神学校日、
説教要旨は翌週週報に掲載
(牧会26年、神戸教会牧師7年、健作さん51歳)
週報「神戸教会110周年のつどい」告知(案内)
日時:1984年10月28日(日)
・記念礼拝「見えない歴史」Ⅱコリント 3:1-3 岩井健作
・小バザー(婦人会)礼拝後〜午後2時 階下講堂
・110周年記念展(教会史研究会)礼拝後〜午後3時 於神戸教会いずみ幼稚園
・こども伝道集会(CS・青年会、神戸女学院伝道キャラバン)午後1時半〜3時 礼拝堂
・記念講演会(教会史研究会)階下講堂
スライド「大正〜昭和の神戸教会」
講演「近代日本と神戸教会」笠原芳光氏(京都精華大学学長)
・夕食会(役員会)午後7時〜8時
戦後歴代牧師・伝道師ご夫妻、及び、明治初期に伝道した教会の牧師をお招きして
コリント人への第二の手紙 2:14-17、説教題「謙虚さと自負」岩井健作
”真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。”(コリント人への第二の手紙 2:17、口語訳)
「子は親の後ろ姿を見て育つ」という諺があります。
口でガミガミ言うだけでは逆効果になることや、家庭教育では親が手取り足取り教えることよりも子供自身が学ぼうとする自立の方が大事だという意味が込められています。
親の後ろ姿には、親自身が必死になって自分の人生を生きている自負、そしてなかなか上手くいかない矛盾や不安、その中で味わう挫折や謙虚さなどが滲んでいます。
後ろ姿は人生の過程の一断面を見せてくれます。
さて、第二コリントの手紙に見られるパウロの姿は、後ろ姿のパウロと言えそうです。
彼の信仰理解が論理や言葉ですんなりとコリントの教会の人々の中に届かない状態で記されています。
今日の箇所は「中間訪問」(この訪問でパウロとコリント教会との間は決裂してしまい、その後「涙の手紙」が書かれた)以前に書かれたもので、パウロにはまだ余裕が見られます。
彼がコリントから攻撃されたのは「使徒職」についてです。
しかし、彼は生前のイエスの弟子といわれるエルサレム教会の使徒に対して、異邦人伝道のために遣わされた使徒であることを主張し弁明します。
その弁明の仕方は「涙の手紙」では「わたしはキリストのためならば弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう」とさえ言っています(第二コリント 12:9以下)。
これは論理ではなく彼の後ろ姿が発する言葉です。
今日の箇所は、それよりも前に書かれているので、それほど激しくはありませんが、14節では使徒として「キリストを知る知識のかおり(2:14)」を放つ者としての自負と、福音の言葉を語るなどという大任に「だれが…耐え得ようか」(2:16)という謙虚さを語っています。
”しかるに、神は感嘆すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのでる。わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。このような任務にだれが耐え得ようか。”(コリント人への第二の手紙 2:14-16、口語訳)
そして17節では、ひたむきに「真心をこめて」全身で語る姿が示されています。
”しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。”(コリント人への第二の手紙 2:17、口語訳)
神に遣わされ、生かされて生きる受動の姿とそれに応える応答の能動的姿とが矛盾や不安を包んでいます。
完成されたパウロではなく、途上の人間、過程を生きるパウロが示されています。
そしてこれがまたキリスト者の生きる姿でもあります。
キリストの恵みにかけ、恵みに生かされる生き方から滲む言葉は、暗黙の言葉であり、後ろ姿がの言葉です。
パウロも説得の言葉に破れて、はじめて「神の言葉」を負う者、証し人とされていきます。
私たちの時代は、人間の問題であまりにも性急です。
結果や到達点ではなく、過程の重要さに目を向けたいと存じます。
あの性急なパウロでさえ過程を生きつつ福音を証ししたのですから。
(1984年10月14日 説教要旨 岩井健作)
1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)
「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)