1984年10月7日、聖霊降臨節第18主日、
世界聖餐日、本文は翌週週報掲載
東京出張:教団「会議制」についての協議会(9月26-27日)
神戸教会員 司式(9月29日 結婚式、9月30日 記念式、10月1日 前夜式、2日 出棺式、3日 前夜式、4日 葬儀)
(牧会26年、神戸教会牧師7年、健作さん51歳)
コリント人への第二の手紙 1:23-2:4、説教:「ために」ではなく「共に」 岩井健作
教会報委員会から依頼されていた原稿が諸事多忙のため遅れてしまい、10月7日の説教要旨を教会創立110周年を迎える文脈の中で捉え直して会報の方に記した《「ために」ではなく「共に」(1984 神戸教會々報)》ので、ここではテキストの釈義に関わることを書きます。
23節に「わたしがコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである」とあります。
”わたしは自分の魂をかけ、神を証人に呼び求めて言うが、わたしがコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである。”(コリント人への第二の手紙 1:23、口語訳)
パウロとコリント教会の関係が、ユダヤ主義的教会指導者によって悪化していることをコリント訪問でつぶさに知ったパウロは、マケドニヤへの旅行帰途に予定していた再度のコリント訪問計画を中止しました。
熟慮の結果のこの取りやめが皮相な誤解を受けたことは、1章15節〜22節の記事から読み取れます。
(前回:神の「然り」《Ⅱコリント 1:12-22》)
この「寛大でありたい」については、訪問中止後に書かれた「涙の手紙」(第二コリント10章〜13章)の初めでも言われています。
”さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。”(コリント人への第二の手紙 10:1、口語訳)
しかし、そのことの真意を十分に伝えたいためにその後に記した「和解の手紙」(第二コリント 1:12-2:13、7:5-7:16)で、自分の信仰的意図を再度説明したのが今日の箇所です。
ここのところを共同訳(1978年)では、「あなたたちへの思いやりからです」と訳しています。
私はこの方が原意の心に近いと思います。
しかし、思想や気持ちの表現というものは、どのような言葉や概念を用いるにしろ、それを媒介にして新たなる相互信頼関係が引き起こされないならば、それは死せる言葉、つまり自己弁護の言葉になってしまいます。
コリント教会の一部の人たちは「寛大」や「思いやり」の語にすら心を閉ざしたのでしょうか。
パウロは説明を重ねて「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない」(24節)と言います。
”わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは信仰に堅く立っているからである。”(コリント人への第二の手紙 1:24、口語訳)
「寛大」あるいは「思いやり」と訳されている言葉は、相手への態度よりもパウロ自身のあり方を自己規制している意味が強いと思います。
パウロが相手の起伏に身を添わせつつ前進したことを如実に示すのが「コリント人への第二の手紙」の妙味です。
六甲山頂から有馬温泉へのロープウェイは、裏六甲の深山の壮大さを眺望させてくれます。
しかし、裏六甲縦走路の起伏を足でたどってみた時、また違った味わいを持ちます。
そんなことと重ね合わせて、この箇所を読みました。
(1984年10月7日 説教より 岩井健作)
説教要旨:「ために」ではなく「共に」
(1984 神戸教會々報)
1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)
「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)