1984年9月23日、聖霊降臨節第16主日、
説教要旨は翌週週報に掲載
(牧会26年、神戸教会牧師7年、健作さん51歳)
コリント人への第二の手紙 1:12-22、説教題「神の「然り」」岩井健作
もう何年も前に、山口県で「ちゃんこ鍋」の店に入って、運ばれてきた小さな一人前の鍋を前にして、あの相撲部屋の大鍋のことを心に描いていたせいか、思わず「これが”ちゃんこ鍋のような”ものですか?」と尋ねますと、「”ようなもの”とは何ですか!これがちゃんこです。」と元力士の店主に言われてしまいました。
本物があって模擬品があるという考え方ではなく、その料理そのものに誇りと良心とをかけている人には当然の言葉であったのでしょう。
コリント第二の手紙を読んでいますが、まず思うことは、パウロはコリント教会との関係に苦労しているにもかかわらず ”教会のようなもの” を考えているのではなく、なかなか上手くいかず、手を焼いているありのままの姿が、教会そのもの、伝道そのもの、福音そのものだ、としている点です。
例えば今日の箇所15節以下では、パウロは伝道計画の変更を熟慮の結果として述べます。
”この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいので、まずあなたがたの所に行き、それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く計画を立てたのである。この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか。それとも、自分の計画を肉の思いによって計画したため、わたしの「しかり、しかり」が同時に、「否、否」であったのだろうか。”(コリント人への第二の手紙 1:15-17、口語訳)
物事というものは、勘ぐればどのようにでも解釈されてしまいます。
「然り、然り」と決めておいて「否、否」という二枚舌だとまで、パウロは言われました。
一事が万事。
パウロが救いとして説いた福音も、ねじ曲げられて理解されました。
しかし、彼は極めて寛大です。
パウロ自身、自分の力で救いを得ていく律法主義から解放されて、十字架に極まるキリストの姿に啓示された神に真実の価値の転換を遂げるのに、回心という大きく長い出来事を経験しました。
その事柄の全体が「恵み」であることを自覚していればこそ寛大であることが出来ました。
問題は、コリントの教会とうまくいかなかったことではなく、神の真実は確かだということです。
そのように行動してきたことを彼は12節で誇っています。
”さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。”(コリント人への第二の手紙 1:12、口語訳)
私たちは、自分の信仰生活にしても、自分たちの教会の姿にしても、特に日本基督教団という全体教会のことを考えても、どこかに本物やあるべき姿があって、今、目の前にあるのは類似品、すなわち ”の•ようなもの” と考えてしまうことがあります。
しかし、シミュレーション(擬態) がやがて本物に近づくのではなく、”の•ようなもの” それ自身さえもが大事であり、それを支えているのが神の真実であり、イエスにおいて「然り」となった福音です。
”神の真実にかけて言うが、あなたがたに対するわたしの言葉は、「しかり」と同時に「否」というようなものではない。なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである。なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。”(コリント人への第二の手紙 1:18-20a、口語訳)
22節では「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである」と言われています。
”あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは神である。神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。”(コリント人への第二の手紙 1:21-22、口語訳)
教会に召され、洗礼を受け、礼拝に招かれ、さらに自己の持ち場で主イエスの証しを託されていることの底に《神の「然り」》を聞き取って歩んでまいりたいと存じます。
(1984年9月23日 説教要旨 岩井健作)
1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)
「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)