1972年10月1日 世界聖餐日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ7:24-29
(岩国教会牧師7年目、健作さん39歳)
歴史の中で戦った人物を、後の時代の者が自分と同化させて軽々しく語ることは慎まねばならないと思う。前の時代の異端者や危険人物はきっと次の時代の英雄とされる。だが、もしその時代に生きていたら、そんなに軽々しく付き合えないであろう。たとえば、最近話題(岩波新書『兵役を拒否した日本人: 灯台社の戦時下抵抗 』稲垣真美著 1972)の灯台社の兵役拒否者や戦時下抵抗の人々と同時代にいたら、私たちはきっとその人たちへの加害者の側で生きていたであろう。抵抗の人々についてほとんど無知な自分の姿をよく見つめることから始めなければならない。そして、そのことはイエスについても言える。イエスの語ったこと、行ったことを教訓としているうちはつまずかないが、彼が生きた足跡を辿るとき、私たちはつまずかないであろうか。その時、自分の死体のようなものが見えてくる。だが、それにも関わらず、なおイエスに聞き従うとき、つまずきを越えて、イエスの言葉は我々のうちで力を持つ。岩の上に家を建てるとは、そのようにイエスの言葉を聞くことであり、自分の責任の自覚において聞くことであり、もっと単純に言えば、自分の行いとして独り心に留めて聞くことである。行いにまでなっている時、外から見ただけでは分からないが、きっと嵐の時、流されることがないであろう。
(1972年9月24日 岩国教会 岩井健作)


