望みに生きる(1975)

1975年8月3日 平和聖日 岩国教会週報
「先週説教より」ガラテヤ 5:5
《前週週報欠落》

(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)

わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。(ガラテヤ5:5)

 ガラテヤ教会の人々は「偽りの指導者」によって律法主義に引き込まれた。巻き込まれた側の曖昧な態度をパウロは叱責している。十字架の愛によって示された恵み(私たちの内側からは出てこないが、自我を捨て、自己を死に関わらせていく実存を、それでよしと支える根拠としての愛の確かさ)だけでは不安なので、言われれば他に生き延びる手段と救いの手づるを(ガラテヤ人の場合は"割礼")掴んでおこうという曖昧さが問題となっている。そこには「恵みから落ちる」(ガラテヤ5:4)危険がある。パウロはこの危険を自らに引き寄せつつ「わたしたちは…」と冒頭の引用句(5:5)を語る。恵みからたとえ一歩ずり落ちたとしても、落ちたところで足を踏ん張って「御霊によって(人間のわざの結果ではなく)」持ち直すことが許されているのが、キリスト者の「望みに生きる」生き方ではないだろうか。「人は信仰を持つことによって完成の域に移されるのではなく、むしろ待望の生へと移される」。

(1975年7月27日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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