1975年7月13日 岩国教会週報
「先週説教より」ヨハネ15:16-17、ピリピ2:12-14
(岩国教会牧師11年度、健作さん41歳)
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。(ヨハネ15:6)
異教社会で人生の曲折を経てキリスト教に入った人はもちろんのことだが、たとえクリスチャンホームに育ったとしても、自分で選んで信仰を得たに違いない。けれども、いずれにしろ、そうした信仰が壁にぶつかって「自分は何故キリスト教なのか?」という問いを持つ曲がり角に立つ時がある。しょっちゅうそういったものにぶつかっているのが信仰生活と言っても良いと思う。「つまずく」ということもそこに含まれる。この揺らいでいく過程で、信仰が「選んでいる信仰」から「選ばれている信仰」へと翻りを促されるのだと思う。「神の選び」が信じられるということは、自分には忌々しい過去、忘れたい、また隠しておきたい出来事ですら、そこに自分の思いを超えて「共に働いて万事を益となるようにして下さる」(ロマ8:26)方の意志を帯びてきていることに目を開かれることではないだろうか。そして、それとの関連で、自分の生きる決断が、過ちを含みつつも、どこか大きなつながりの中に引き入れられていることの確かな手応えを与えられていくことである。
(1975年7月6日 岩国教会 岩井健作)


