1975年7月6日 岩国教会週報
「先週説教より」ヨハネ10:1-18
(岩国教会牧師11年度、健作さん41歳)
彼は自分の羊の名をよんで連れ出す(ヨハネ10:3)
羊飼いを指導者になぞらえて語る語り方には、聖書の民族の生活と経験が滲んでいる。「よい羊飼」像の背景には、多くの失敗と苦い経験があったに違いない。ヨハネ福音書が記された当時、ユダヤ教の指導者層は、ローマ帝国の権力者層と結びついて、結局、民衆を裏切っていた。危ない時には民衆を見捨てて逃げるが、それでいて平時は囲いの中に羊を閉じ込めるユダヤ教指導者層を、ヨハネは「盗人、強盗」(10:1)と呼んでいる。本箇所では、そのような囲いの中に入り込んで、一人ひとりを呼び出し、連れ出す羊飼いとしてイエスが記されている。「一人ひとりを呼び出し連れ出す」という語は、モーセによるエジプト王国脱出の場面にも使われている。前章ヨハネ9章で述べられていたように、イエスは分争を起こさせてまで、偽りの安住から人々を導き出す。安住を支える囲いは外からも内からも固められている。私たちは、イエスが牧者であるという時、まず、慰めるとか労わる方である面で捉えがちであるが、その前に囲いから連れ出す方であることを憶えたい。「養う」(ヨハネ21:15)という羊飼いの働きは、連れ出された羊の「脱出の旅路」での牧者の働きであった。「名をよんで」(10:3)の「名」は固有のもの、導き出されるとは、色々な問題の中で自分を囲う囲いから出ていく途上、自分固有の負うべき十字架や課題が見えてくることだと思う。この道のりは険しいかもしれない。しかし、「わたし(イエス)がきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(10:10)。
(1975年6月29日 岩国教会 岩井健作)


