1975年6月15日 岩国教会週報
「先週説教より」哀歌3:22-36、ロマ2:4
《翌週週報欠落》
(岩国教会牧師11年度、健作さん41歳)
神の慈愛があなたを悔改めに導く(ロマ2:4)
ローマ人への手紙では、ここに引用した言葉に続いて「その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか」(ロマ2:4)と訳されている。心を頑なにしていたため、人間として成熟に向かう成長が止まってしまっていたユダヤ人に語られた言葉である。旧約聖書に記されたユダヤ人(イスラエル民族)の歴史は、神の慈愛のもとにある民族(人間)の成長の記録として考えることができる。その中に示されているものを、①育てようとする愛(慈愛)、②相手の心の変化の機会を期待して待つこと(忍耐)、③多様な可能性やあり方を包むこと(寛容)の三つにまとめている。そして、パウロはその豊かさを「富」と言い、「軽んじてはならない」と戒める。「軽んじる」とは「誤った観念を抱く」「勘違いをする」の意味を含む(バウアー)。人生における思わぬ出来事、自分の経験の尺度からはみ出してしまう新しい経験について、ある局面では、それが「神の慈愛」の豊かさと感じ取られないまま、思い込んでいた勘違いから自由になっていく「訓練」が信仰の深まりというものであり、成長ではないだろうか。イスラエル民族がバビロン捕囚の痛い経験の中で、残した言葉への黙想と共に冒頭の言葉を心に留めたい。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」(哀歌3:22)。
(1975年6月8日 岩国教会 岩井健作)


