心に注がれた愛(1975)

1975年6月1日 岩国教会週報
「先々週(ペンテコステ礼拝)説教より」
ロマ5:5、ヨハネ14:23-27

(岩国教会牧師10年目、健作さん41歳)

神の愛がわたしたちの心に注がれている(ローマ5:5)

 太宰治のことを「神の愛が信じられず神の罰だけが信じられる人間…」と佐古純一郎は評した。太宰のように人間の信頼関係の裏を全て見てしまった人にも『走れメロス』のような祈りの込められた作品もある。「天の父は悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、…雨を降らして下さる」(マタイ5:45)というイエスの言葉にある如く、知らずして注がれている神の愛を否定できる者があろうか。もし、逆境、不幸、不信、裏切りが私たちの心を頑なにするなら、私たちの心は「石の心」(エゼキエル36:25)になっているに違いない。その「私たちの心」に、なお神の愛が注がれていると聖書は語っている。「注がれている」とは、水が注がれ植物が回復する様をいう。受け身の形で書かれているこの言葉は「助け主」と言われる聖霊の働きを示している。冒頭の言葉(ローマ5:5)はただひたすら受ける以外に関わりようのないものへと心を開かせないであろうか。日常の一つひとつの小さな喜びや悲しみの中に、生きる張り合いを見出すことを考えてみても、「石の心」を「肉の心」に変えさせる「神の愛」に目覚めて歩みたい。

(1975年5月18日 ペンテコステ 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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