1975年5月18日 聖霊降臨日(ペンテコステ)
岩国教会週報「先週説教より」ヘブル2:17-18
(岩国教会牧師10年目、健作さん41歳)
今年の私たちの教会の年間聖句は、ヘブル書2章18節です。
"主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。"(ヘブル2:18)
これに関連して、直前の17節でイエスが「忠実な大祭司」と言われていることから、学びたいと思います。
"イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。"(ヘブル2:17)
第一に「忠実」ということですが、忠実とは外面的な態度や形のことではなく「自分を立てたかたに対して忠実」(ヘブル3:2)であるということ。サムエルは師エリへの人情を超え、神の声に忠実であった(サムエル上3:15)ので「忠実な祭司」(サムエル上2:35)と言われている。初代教会でローマ皇帝による迫害の中、福音に生きることは、苦しみであった。だが、その苦しみは忠実の徴(しるし)でもあった。
第二に「忠実」は罪との戦いの持続であるということ。罪は人間の歴史全体に関わることである。その中で「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである」(ヘブル3:14)。
第三に「積極性」ということ。マタイ25章の「タラントのたとえ」では「よい忠実な僕(しもべ)」とは神に与えられたものを用い、活かした者であった。
大祭司について。ヘブル書は、イエスを「罪をあがなうため」「自ら試練に会い」「身を捧げられた」大祭司として理解する。
私たちは、試練の中でイエスに近づくために、イエスの「忠実」をたどる信仰生活を送りたい。
(1975年5月11日 岩国教会 岩井健作)


