乗松雅休(のりまつまさやす)のこと(1975)

1975年5月11日 岩国教会週報

(岩国教会牧師10年目、健作さん41歳)

 大野昭牧師から最近同氏が執筆した「キリスト教史談会パンフレット No.9 乗松雅休覚書」を送っていただいた(50ページ)。乗松雅休は、大野氏の母堂大野ミツさん(89歳)の叔父にあたる方で、同姉(岩国東教会の畑恵子姉は同姉の孫)とは、呉山手教会で共に教会生活をしたことを憶え、ミツさんが乗松牧師の信仰の影響下にあることを知り、同家の信仰の厚みを感じつつ読んだ。

 乗松雅休(1863-1921、57歳没)はまだ史料的に掘り起こされていないが、日本最初の海外伝道者である。明治20年代、横浜海岸通教会で入信し、明治学院を出て伝道者となったが、制度教会を脱し、祈祷と霊感を信仰的生命と位置付けるプリマス・ブレザレンに身を投じ、伝道に働いた人である。朝鮮の一青年が日本でキリストを信じ、帰国後、禁教令に違犯したという理由で死刑に処せられたと聞いて、ハナニム(神様)というハングル一語を覚えただけで、朝鮮伝道を志し、それも都市ではなく水原(スウォン)の田舎に22年間、生涯の最良の部分を手弁当で活動し、その地で夫人を召され、遂に遺骨をそこに埋葬された伝道者である。

 時あたかも日本が朝鮮を植民地として支配し、帝国主義的な国家目標に従って収奪を強めていく時であった。乗松の伝道を朝鮮と日本教会との関わりの第一期とすれば、第二期は日本の植民地政策に則った渡瀬常吉(わたぜつねよし 1867-1944、組合教会牧師)による朝鮮伝道である。組合教会総会で、渡瀬による組合教会の朝鮮伝道について、反対の立場から論陣を張った柏木義円(1860-1938 安中教会牧師)は「上毛教会月報」で乗松のことを「朝鮮人に身を与えた者」と評している。朝鮮での三一独立運動(1919年3月1日から3ヶ月)の際、日本で”不逞”朝鮮人の流入をチェックする官憲による取り調べを受け、乗松の臨終に間に合わなかった金太熙(キムテヒ)は「イエス・キリストは神様であるのに、人とおなりになられた。この愛に励まされて、乗松兄は朝鮮の人を愛しました」と語った。「愛」とは身を与えることであろうが、どの場所に於いてその身体を与えるのか。この重要さは、歴史の時が画き出すものであろう。

(1975年5月11日 岩国教会週報 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!