桝本うめ子の生涯 − その周りの人々

近代日本のキリスト者女性(2)

桝本うめ子の生涯 − その周りの人々

川和教会 レプタの会例会  2002.10.25

1、桝本うめ子(1892〜1992)百歳のキリスト教高校教師(書を教える)。内村鑑三に出会って育てられた信仰により、「明治、大正、昭和」の激動期を、恵まれた環境から貧しく清廉な教育の生活へと生きた女性。ロマ8:28を愛唱。

2、横浜の貿易商・清水洋行の長女として誕生。母、祖母ともに指路教会会員。うめ子指路教会で幼児洗礼。富裕な家庭で幼少期を過ごす。フェリス女学校入学、第13期生。

3、1910年、桝本重一(海軍機関大尉、水雷の研究家)と結婚。長男誠一(明治学院卒、兵役、三菱造船、稲美芳子と結婚)、次男忠男(慶応義塾大法卒、兵役、三菱石油、芦谷華子《恵泉》と結婚、つくばで戦後開拓農民、後山形の独立学園)、長女道子夭折、次女孝子(《自由学園》鈴木茂と結婚)。
 うめ子、神田古書店で内村の『所感十年』に出会う。
 夫・重一(41歳)、三菱長崎造船所勤務中、広島の鉄道事故で急死、内村鑑三らが葬儀司式。
 うめ子、内村に「入門」。モアブ婦人会会員(南原、塚本、斉藤夫人など)となる。

4、1931年、一家杉並区に移転、隣家の斉藤宗次郎(宮沢賢治に「雨ニモマケズ」の詩のモデルとなったと言われる人。賢治と花巻で明治から大正の終わり迄交わりがあった)に出会う。次男・忠雄、斉藤を尊敬する。

5、1934年、内村の弟子・鈴木弼美(すけよし・東大理学部卒)、渡部弥一郎とともに内村の小国伝道の訴えの実現のため、山形県津川村叶水に「基督教独立学校」を設立。生徒2名。

山形県西置賜郡小国町叶水826 基督教独立学園高等学校

6、戦時中、うめ子は弟・清水秀雄在住の京都府船井郡八木に長男誠一の妻芳子と移る。

7、1944年、特別高等警察、鈴木弼美、渡部弥一郎を治安維持法違反で逮捕。 弥一郎子息・渡部良三、兵役中、中国前線にて聖書の「殺すなかれ」に従い、捕虜刺殺を拒否、抗命罪に問われ残酷なリンチにあう。歌集『小さな抵抗』シャロ−ム図書 1999

8、1946年、次男忠雄・華子つくば山麓開拓地に入植。うめ子は忠雄の開拓地に移る。

9、1948年、鈴木弼美、山形叶水に「基督教独立学園高等学校」創立。「読むべきものは聖書、学ぶべきものは天然、為すべき事は労働」をモットーとした(内村の言葉)。(弼美は1988年、88歳まで校長、自ら教鞭をとり、日曜聖書講義を継続。弼美、1990年90歳にて死去)

10、1950年、豪雨により開拓地冠水。翌年1951(昭和26)年、桝本一家、つくば山麓より山形叶水の「基督教独立学園高等学校」(当時、日本一小さな高校:全校生徒数75名)に移る。うめ子59歳。華子28歳(桝本華子先生の詩と曲はこちらへ

11、1955年。朝日新聞全国版で、独立学園紹介。1960年、新校舎落成間際、旧校舎炎上。桝本一家(孫3人を含む)望寮舎監室に移る。うめ子、生徒に書を教える。

12、1972年、うめ子80歳感謝祝賀会。鈴木弼美校長、吉川英治文化賞受賞。

13、1980年、次男忠雄死去。NHK「土と祈りの青春」と題し学園を放映。

14、1984年、日本TV「雪の中の家族」と題し92歳のうめ子を放映。

15、1987年、日本TV「一日一生 95歳の人間教育」でうめ子を放映。

16、1992年、山形市で「桝本うめ子・心の書展」開催、うめ子100歳、独立学園高等学校で書を教え続け、4月死去。

17、1993年、日本TV「うめ子先生」文化芸術賞、英訳版ゴールデンゲートアワード賞受賞。佐々木征夫著『うめ子先生100歳。高校教師』刊行。

18、1997年、日本TV「知っているつもり」で桝本うめ子を放映。


もうすぐおわかれのときよ
あら、かねの音がきこえるわ。
みんな みんな みんな みんな
よし よし よし よし ばば百さい
(うめ子最後の詩)

参考書 藤尾正人『桝本うめ子 一世紀はドラマ』燦葉出版社 1998年



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