自分の判断(1974)

1974年11月3日 大人と子供の聖日合同礼拝
岩国教会週報「先週説教より」コリント第一 7:12-16

(岩国教会牧師9年目、健作さん41歳)

これを言うのは、主ではなく、わたしである。(コリント第一 7:12)

 コリント第一の7章は、結婚の問題についての問いにパウロが答えているところです。パウロの論敵たちは、自らの信仰の拠り所を、「主の語録」とも言うべきイエスの語録集(例えばQ資料仮説の伝承語録)に依拠していたと考えられます。言葉というものは、それが語られた状況と切り離されて理解されると、生きたものとはなりません。結婚についても、コリント教会では伝道によって未信者との結婚という新たな事態が生じ、「主の語録」(例えば7:10)だけでは、直面する新たな問題に対する具体的な指示を得ることができなくなったと思われます。パウロは、各自の信仰からの判断が出来ない人々に批判の意味を込めて「主ではなく、わたしである」(7:12)と言って、パウロ自身の判断を示しています。たとえ試行錯誤があっても、現実の状況の中での各自の判断が大切です。さて、次に判断の中身ですが、未信者との結婚の間に起きる問題を、あっさり離婚で解決しようというやり方(7:12以下)と、何がなんでも自分が相手を信者にするという自意識過剰の熱意(7:16)の両方を戒めています。結婚によって担われている共同性というもの、そのものを大切にすること、共に荷を負うことの中に「不信者の夫は妻によってきよめられており」(7:14)といった神の力の働きがあり、愛は多くの罪をおおう救いがあることを示しています。逆に最も身近な信者(配偶者)につまずき、そのつまずきを通して、想像も出来なかった救いの力が働くことさえ、実際にはあるのです。他方、相手に「束縛されていない(相手の奴隷にならない)」(7:15)ことも大切なことでありましょう。私たちは、直面するさまざまな状況や日々の出来事の中で、既存の言葉に判断を委ねる態度ではなく、主にあって自らの判断が熟す時まで、その課題・重荷をしっかり負いつつ歩み通したいと思います。

(1974年10月28日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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