「もう行け」(2006 神戸・震災)

「婦人之友」 2006年2月号所収「神戸で出合った聖書の言葉」より抜粋

(牧会48年、健作さん72歳)

 ”今日も、わたしは苦しみ嘆き、呻きのために、私の手は重い。”(ヨブ記 23:2)

 1995年1月17日、闇の底からドドーッ、ドカーンと体を宙に突き上げる激震を体験した。

 あの瞬間を含めて6,433人の方が亡くなった。その一人の物語を朝日新聞の「天声人語」が伝えている。

 ”最初の揺れが去った後、幾つもの地区が火炎に包まれた。73歳の父親が下半身を瓦礫に挟まれていた。子どもたちが、両手を思い切り引っ張った。炎が迫った。父親は穏やかに言った。『もう行け、もう行け』”(「朝日新聞」1995年12月31日)。

 読むたびに涙を禁じ得ない。

 神戸教会は倒壊をまぬかれたが、半壊の認定。

 行政の遺体収容所、支援団体の物資集積基地として活動した。

 日々非日常。その中で巡り来る日曜日の礼拝は極めて日常的に守られた。習慣も手伝って説教の原稿はいつものように端正につくった。

 その時出合った聖書の箇所の一つが、ヨブ記23章2節の言葉だった。

 旧約聖書のヨブ記は、財産の喪失、家族の災害死、重い病といった激しい苦難に出合った主人公ヨブが、不条理の苦難の意味を神に問い続けた戯曲。

 その神は自明な神ではなく、隠された神。

 友人は苦難の中で祈れば必ず神に聞かれるという。あたかもヨブの信仰が足りないかの如くに。楽天的な宗教だ。

 しかし、ヨブにとっては自明の神はすでに失われていた。

 因果応報の功利論の宗教が彼に「救い」をもたらしはしなかった。彼は「隠された神になお追いすがりつつ生きる」(浅野順一)。

 2節の「私の手」は「祈りの手」を意味する。旧約の世界では手を上げて祈ったと記されている。


 ”苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出され…”(詩編 77:3)

 とは、手を伸べて祈り続けたということである。

 震災は弱者を襲った。愛する者の不条理の死をもたらした。行政の杓子定規な扱いに人々がいらだちを禁じえない場面にぶつかった。

 被災十年を覚えるために、幾つかの被災者団体が実行委員会をつくって行った『大震災十年・被災地生活実態調査』が発刊された。

 華やかな表面的復興とは裏腹に、住まい、仕事、借金、健康などの状況が、底辺被災者では悪化している。この調査はそれを浮き彫りにしている。加えて、富裕層と貧困層を峻別してゆく世俗的な「新自由主義」「グローバリゼーション」の暴風雨が日本でも追い打ちをかけている。

 ヨブの言葉が身に染みる。

 教会では、旧約聖書の当時のように手をあげて祈りはしない。

 だが、神戸を思うと、「私の手は重い」と、合わせた祈りの手に自ずと力を込める。


「神戸市立小磯記念美術館」には小磯さんの友人、キリスト者洋画家・田中忠雄さんの作品「みくにを来らせ給え」が寄贈掲額されている。

「主よ、御国を来らせ給え」。

 この街を覆う祈りに、皆さんも加わってくだされば幸いである。

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