小さな事件(1974)

1974年10月20日 岩国教会週報
「先週説教より」コリント第一 6:1-11

(岩国教会牧師9年目、健作さん41歳)

きわめて小さな事件でもさばく力がないのか。(コリント第一 6:2)

 「小さな事件」(6:2)とは、コリント教会内で起こった信者同士の財産問題、あるいは経済問題のことでしょう。パウロは、彼らがその問題を信仰共同体の中で解決しようとせず、日頃は信仰による生き方とは無縁の人々に委ねる形で解決しようとしたこと(実際には訴訟を起こしたこと)を厳しく批判しています。これは決して「教会の中のことは教会で片付ける、恥を晒すな」のような趣旨ではなく、「小さな事件」を通じて、その時にこそ、それを通して、悩み苦しむことを避けるのではなく、改めて「信仰に生きるとはどういうことか」を考える機会とするよう勧めています。信仰と生活とを分離することを厳しく批判しているのです。すでに「主イエスの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされた」(6:11)者が、そのことを固く信じるなら、「小さな事件」を自分流の知恵やこの世の常識、あるいは他人の陰口に頼って解決しようとするのではなく、それを信仰をもって受け止めなさい、とパウロは勧めています。そうすることによって、信仰は具体的な形をとって生きたものとして働き、自らが神によって義とされていることを身をもって確かめる機会となるからです。「なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか」(6:7)というパウロの言葉には、信仰によって人生の根本を決めた者の余裕を見てとれます。同時に「心のうちでうめきながら…からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(ロマ8:23)という、信仰のあり方が秘められています。

(1974年10月13日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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