自分の責任(1972)

1972年9月3日 岩国教会週報
「先週説教より」ルカ7:36-50

(岩国教会牧師7年目、健作さん39歳)

この女は多く愛した(ルカ7:47)

 イエスの足に香油を塗る女の物語は初代教会にとってよほど印象深かった話であったと思われる。4福音書全てに収録されている(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ルカ7:36-50、ヨハネ12:1-8)。この中でルカの特徴は①ガリラヤでの出来事としていること(他は「葬りの備え」に関連付け)。②借金を許された二人の男の譬え話が途中に入っていること。③罪人とパリサイ人との対比というルカの文脈に置かれていること、等々。

 さて、このテキストを『パリサイ人の冷たさ』という問題意識から捉えてみたい。彼はそれなりにイエスに対して理解を示している(36節、イエスを食事に招き、譬え話に適切な判断を示す)。しかし、『ひとりの女』(この女性はおそらく遊女)をありのままの姿で捉えないで「義人か罪人か」という二者択一の考えの中でしか捉えられなかった。つまり、自分との生きた関わりで捉えなかった。自分の食卓の席に彼女が飛び込んでくるということは思ってもみなかった。女の苦しみが、自分の負債とはなっていなかった。苦しむ人がいる時、それは何か人間としての根本的な負債の感覚なしには、関わることはできない。負債の感覚の欠如が『冷たさ』に通ずる。けれども、負債の感覚をそれだけ切り離して捉えることはできない。この女性のように、また、譬えのように『負債に対する赦しの現実』として捉える以外に捉えようがない。だから、支払い不可能な自分自身の負債を知っている者こそ、自分の責任を果たし得るのだと思う。他人の責任には帰し得ない自分の責任を問いつつ、自分の生き方を検討したい。その問いの向かうところ、『福音による赦し』を垣間見る。

(1972年8月27日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!