地上では旅人(1971)

1971年11月28日 アドヴェント(待降節第一) 岩国教会週報
「先週(永眠者記念礼拝)説教より」ヘブル11:13-16

(岩国教会牧師6年目、健作さん38歳)

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。…そして、地上では旅人で寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル人への手紙 11:13)

 晩秋。芭蕉の名句「この道や行く人なしに秋の暮れ」の漂わす寂寥が身に染みます。この句は、いささか人懐かしい「人声やこの道帰る秋の暮れ」と共に作られたということです。道一筋に独り進む世界と里の人声に帰っていく安堵の世界とが対照されているように思います。我々の人生もこの二つを含んでいます。誰も歩まない道を「空の鳥には巣がある、しかし人の子には枕する所がない」(ルカ13:23)とのイエスの言葉に引かれて歩む面と、家庭や既知のグループの気安さに帰っていきたいという面です。

 もし聖書のいう「天のふるさと」(ヘブル11:16)が、ただ安らぎと安堵を与えるものとしてだけ受け取られるなら、道一筋の生き方を弱くし、二つを別々なものとしてしまうのではないでしょうか。どうせ「地上では旅人」(11:13)といって、旅人の営みに、道一筋に真剣に関わることをしなくても良いような気持ちを起こさせます。しかし「地上では旅人」という意味はそうではありません。私たちは既に亡き身近な者の生涯を思い起こす時、そこにどんなに小さくてもかけがえのない生の重さを感じます。それは、もはや帰ってこない旅人に触れ合ったように私たちに触れ合っています。旅人は戸惑いもあり、また身軽でもあります。地上では(人の世では、歴史の中では)みな旅人なんだという自覚を改めて持ち、「行く人なし」の句の境地に身を懸けていくのが信仰者の生き方でありましょう。「天のふるさと」という表現はむしろ心深くに秘められているべきものではありますまいか。それが神の約束である限りにおいて。

(1971年11月21日 永眠者記念礼拝 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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