バビロン捕囚とエレミヤ(2014 エレミヤ ⑦)

2014.12.3、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第85回、「旧約聖書 エレミヤ書を読む」⑦

(前明治学院教会牧師、健作さん 81歳)

エレミヤ書 29章1-7節

 わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。(エレミヤ 29:7節、新共同訳)

1.バビロニアとはどういう国か。捕囚とは何か。

 西アジアのチグリス・ユ-フラテス川の下流地方を支配した古代帝国。紀元前3000年頃、楔形文字、天文学、法典など最古の文化を持っていた。パレスチナの小国ユダに侵入したのは第1回がユダ王エホヤキン(BC598-597)の時代。列王記下24章12節-14節には第1回バビロン捕囚の様子が記されています。

 ユダ王ヨヤキンは母、家臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治世第八年に彼を捕らえた。主が告げられたとおり、バビロンの王は主の神殿の宝物と王宮の宝物とをことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが主の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻んだ。彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。(列王記下 24:12-14、新共同訳)

 とあります。 バビロンはエルサレムから2000キロもあります。バビロンの王が立てた次の王(実際はヨヤキンの叔父)はゼデキヤでした。彼の高官には親エジプト派が多く、ゼデキヤはバビロンとエジプトの二つの大国の間で揺れ動きますが、そこに預言者ハナンヤが現れ、民族主義者を煽って、バビロンに対する反乱を計画します。

 エレミヤは捕囚となった人々を評価して「良いいちじく」と言っています。

 ゼデキヤ王とその高官たち、エジピプトに住み着いた者、この国にとどまった者を「悪いいちじく」だと言っています(エレミヤ 24:5-6)。

 エレミヤはハナヤンと対決し、現実はそんなに甘くない、バビロニアに服するのが今は「主の道」で、自分もバビロニヤからの解放を究極には望む者であるが、

主の怒りは
思い定められた事を成し遂げるまではやまない。
(エレミヤ 23:20)

 と言って、苦難の意味をもっと真剣に受けとらなければならない、と安易な民族主義者・平和主義者を批判します。結局、ネブカドネツァルは第2回ユダ侵入(BC589-587)を行い、エルサレムは完全に陥落(BC587)します。バビロン捕囚はおよそ半世紀(BC587-538)に及びます。

2.長いバビロン捕囚をエレミヤはどう考えていたのかが、今日のテーマです。

  預言者ハナンヤとの対決の後、公式な意味をもった手紙が、ゲマルヤに託されて捕囚民に届けられます(エレミヤ 29:3)。

 今日は7節までの引用ですが、23節まで続きます(新共同訳 見出し”エレミヤの手紙” 29章1-23節)。

 それによれば、その地に足を付けて落ち着いた生活をするようにと述べています。バビロニアはいわば敵国です。11節以下を記してみます。

 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(12)そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。(13)わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、(14)わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。(エレミヤ 29:11-13)

 長い目で見ています。旧約の民は「捕囚」という一見マイナスの歴史の中に、神の導きを読み切ったメッセージを世界に発信しています。

かつて、在日韓国・朝鮮人の伝道に身を懸けた李仁夏(イ・インハ)牧師は『寄留の民の叫び』(1979 新教出版社)で、苦難を負った在日こそ、日本を多民族共生に開く使命を負った民である事を説きました。

 李夫人・幸子さんはわたしの「日曜学校の教師」でした。その落ち着いた生活はエレミヤの手紙を想起させるものでした。

シリーズ「旧約聖書 エレミヤ書を読む」全9回は、続く⑧⑨の原稿が見つからないため、
本稿⑦が最後になります。
最初に戻って読む場合 ▶️ 預言者エレミヤの時代(2014 エレミヤ ①)

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