わたしは決して赦さない – 神の審判の言葉をどう聞くか

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第53回「旧約聖書 アモスの言葉」①
アモス書 1章1節

1 テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。
 それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。
2 彼は言った。主はシオンからほえたけり
 エルサレムから声をとどろかされる。
 羊飼いの牧草地は乾き
 カルメルの頂きは枯れる。
3 主はこう言われる。
 ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに
 わたしは決して赦さない。
 彼らが鉄の打穀板を用い
 ギレアドを踏みにじったからだ。
4 わたしはハザエルの宮殿に火を放つ。
 火はベン・ハダドの城郭をなめ尽くす。
5 わたしはダマスコ城門のかんぬきを砕き
 ビクアト・アベン(悪の谷)から支配者を
 ベト・エデン(快楽の家)から
 王笏を持つ者を断つ。
 アラムの民はキルの地に捕らえられて行くと
 主は言われる。

旧約聖書 アモス書 1章

1 、旧約聖書39巻の一つであるアモス書はどんな位置また役割にあるのか。ヘブル語のユダヤ教の聖典は「トーラー、ネビーム、ケスビーム」と言う標題のついた本です。これはこの本の性格をよく表わしています。「卜ーラー(律法)」は、時を超越した「神の意志(言葉)」です。モーセがシナイ山で神から石の板に賜ったと伝えられています。いつ、知何なる所でも、守られるべき神の法が内容です。「十戒」が中心で、「創、出、レビ、民数、申命」の文書を「モーセ五書」と言います。

2 、「ネビーム(預言者)」は、法が形式的にしか守られないイスラエルの堕落した状況が現実でした。もう一度、悔い改めて神の意志(言葉)に「聴き従え」と言う事を叫ばざるを得なかったのが、状況の言葉としての、預言者の言葉です。預言者は時代状況の中で「神の召命」を受けて立った人たちです。「イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル」と言う四大預言書と、それに続く「十二小預言者」があります。アモス書はその一つです。預言書を読むのに欠かせないのは、言葉が語られた状況です。一体どんな問題があってこの言葉が語られたのか。預言者とは、あらかじめ将来のことを言い当てるという意味の人たちではありません。「予言」は将来を言い当てることですが、「預言」は神の言葉を「預かる」者です。預かって伝えるのが、預言者でした。伝えると言っても知識の言葉を伝えるように、自分の主体がきしむように痛まないで語れる言葉ではありません。例えば、「神はあなたを滅ぼすぞ、と言っている」と伝える時、自分も時代の連帯責任として「その滅び」を受けるのです。高みの見物と言う位置から語るのではない所に預言者の厳しい立ち位置があります。「裁きを語って」同時に「裁きをうける側」に立つのです。預言者を読むには、どうしてもこれを生み出した状況、歴史を知る必要があります。言葉を状況で理解するのです。

3 、「ケスビーム(諸書)」は、文学、詩歌などです。状況と共に、状況を含んで造られた作品です。時代を通りぬけて作品としての力を持ちます。代表的なものとしては「詩編、箴言、コヘレトの言葉、ヨブ記」などが入ります。

4 、さて、アモス書ですが、まず、冒頭に時代が記されています。「ユダ王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロプアムの時代、あの地震の二年前、イスラエルについて示されたもの」と限定されています。その時代は当時の国際的にも諸国が争い、戦争が随所で行われていた時代でした。舞台になっているイスラエル王国でも、外部の諸国との戦争があり、国内的には多少の繁栄の中で、専制君主が支配し、貧富の格差が大きく、貢租の義務の過大、強制労働や徴兵、飢饉による土地の収奪、寡占化が進行していました。大部分の貧困者には厳しい時代でした。アモスという一介の自営農の牧畜従事者が、自らは王の権力で苦労していた立場から、使命を感じ、神の召命を受けて、国の不正をただす言葉をかたりました。その言葉をその弟子たちが纏めたものです。悪の状況を批判して語るのは一介の人間ですが、この人が「神の召命(Calling, Beruf)」を受けていることが大事です。ある意味では、預言者は神(律法による神の意志)と悪の現実との間で苦しむ人間の事です。現代でも「預言者的」生き方をする人は沢山います。その場合、何らかの規範が一方にあって、それと照らして、現実のゆがみを見ています。例えば、市民科学者と言われた高木仁三郎氏などは、コントロールできない核エネルギーを用いること自体に人間の悪を見た科学者ですが、根底に失われてはならない「いのち」を見ています。

この「いのち」の規範が、聖書には「卜ーラー(律法)」としてはっきりしています。アモスでは「私は決して赦さない」(1:2) という神の強い意志として語られています。「主はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかせる」 (1:2)とあります。預言書は激しい宗教です。ただ激しいというだけではなく、「神の正義(ツェダーカー)」の故に激しさを持ちます。「鉄の脱穀機を用い、ギレアドを踏みにじった」ダマスコの罪は赦されてはならないのです。当時の戦車です。新鋭の兵器です。其れで大量の虐殺をやったのです。それに対する裁きを叫んだのがアモスです。当然、報復、迫害を受けます。其れを覚悟のところが預言者の姿です。預言者が働く時代は悪い時代です。現代にも多くの預言者が声をあげています。市民的不服従等も預言者の系譜でありましょう。アモスを学ぶ意味を捉えたいと思います。