沖縄を語る言葉(2011 望楼 ㉔)

2011.9.3 キリスト新聞

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)


「本土の人間に沖縄を語る言葉があるのだろうか」との問いは作家大城立裕氏のものだったと思う。その棘を覚えつつ記す。「最低でも県外」がアメリカの恫喝に屈したその次の首相も、代替えは辺野古にという「日米合意」を残してまた辞める。

 3・11以降、本土のジャーナリズムは黙して「沖縄」を語らない。民衆も沖縄を忘却する。その本土の一人として沖縄を想う。

 昨年の「4・25県民大会」以来沖縄は新たに目覚めた。「辺野古に基地は作らせない」と宣言する稲嶺進名護市長に、政府は米軍再編交付金を止めた。だが市長は先手を打ち、基地に依存しない「六次産業構想」を出した。名護市民は東北への義援金2千万円を集めた。本土からはふるさと納税制度を利用したカンパが3ヵ月で3千万円寄せられた。政府への民衆の怒りの表れだと市長は言う(『世界』9月号)。

 知念ウシさんは「沖縄人の『精神の植民地化』を怒り、悲しみ……それよりも日本人の『精神の占領』問題のほうがもっと深刻なのではないか」(知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』2010年 沖縄タイムス社)と指摘する。この厳しい言葉を抱きつつ、なお沖縄に心を開いていきたい。(健)


「望楼」

コスモス(2011 望楼 ㉕)

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