地震・沖縄・原発そして免職 − 七転八起(2011 仙台・講演)

2011.8.29(月)、仙台・作並

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)

1.地震

「お子さんですか?」
「いやおふくろです」

 神戸教会の階下講堂の片隅に安置された「みかん箱ぐらい」の小さな棺の前にうずくまる男性に声をかけた。

「火の廻りが強く遺体はほとんど灰になっていて、家の位置とわずかにのこっていた衣服の一部からおふくろだと分かって、ここにきたのです。おふくろ一人にして東京に出稼ぎに行っていました。一緒に居てやれたらこんなことになってはいなかったでしょう」

 こごんだ声が厳冬の夜のホールに鈍く響いた。震災7日目、神戸市から灘区の焼け跡の「遺体安置所」を神戸教会が要請され最初に運びこまれた幾つかの棺のうちの一つであった。

 地震後の火災でほとんど灰と骨になってから「教会」にやってきたこの婦人の人生を想像してみた。灘の激震地区は神戸の下町で、神戸の重工業の発展と共に流入した底辺労働者の街であった。播磨・但馬、さらには沖縄からの人達が住んでいた。粗末な木造家屋が多かった。川崎重工・三菱重工・神戸製鋼などの近代日本を支えた企業の下請けのまた下請けで働く労働者街であった。すでに他界をしたという親父もそこに住んでいたのであろう。

 何の因果か、その海岸端に地震の断層が走っていた。山の手の住宅街の被害は死者数や家屋全壊は下町に比べれば断然少なかった。明治以来、キリスト教の宣教は担い手も対象も山の手の住宅街の知識層が中心であった。教会も山の手を走る阪急電車の沿線に多かった。だが地震は弱者を襲った。弱者を宣教の中心課題にしてこなかったことに気付かせたのが阪神淡路大震災であった。

「地域の再生なくして、教会の復興はない」

 との標語を掲げて被災救援活動をした日本基督教団兵庫教区は、その課題遂行のため「日本基督教団兵庫教区 被災者生活支援・長田センター」を立ち上げ今日に至っている。また、信仰の在り方として、そのことを「阪神淡路大震災被災教区の震災5年目の宣教にあたっての告白」にまとめた。近代の日本で疎外され続けてきた弱者の問題を担い続けること、そうして近代主義の歴史の不条理を背負って死んでいった「死の出来事」を覚え続けることが、教会の本質的課題だと思うようになった。これが私の「阪神」体験である。

大地震から10年、大地震子ども追悼コンサート」を(菅沢邦明氏を中心に立ち上げた実行委員会主催)を続けてきたのも死者と共に生きるためであった。

「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」(ガラテヤ 3:1)は、あの6,437人の死者と共に死に続けておられるのである。今も死に続けている死者を覚えることを通奏低音として、地震は「沖縄」につながる。

2.沖縄

 沖縄戦の死者は戦闘員9万・非戦闘員(沖縄民間人)16万ともいわれますが、正確なことは分かっていない。この死は琉球王国を併合して琉球処分を行った日本国の国体(天皇制)維持のための捨て石の犠牲死であった。戦後は戦略上米国統治に委ねられ「本土復帰」時には「日米安保」の「地位協定」実施のまま日本の米軍基地の75%を国土面積4%の沖縄に押しつけ、あらゆる意味での本土の「沖縄差別」をそのままにしてきたのが現実である。確かに沖縄人の主体性の問題もあるが、沖縄人にとっては本土人の無理解は許しがたいことである。知念ウシさんは沖縄人の「精神的植民地化」に怒りと悲しみを表明しつつも「それよりも日本人の『精神の占領』問題のほうがもっと深刻なのではないか」といっている。

 日本基督教団は1969年、戦後の断絶を改善して「沖縄キリスト教団」と「日本基督教団」との合同を果たす。だが沖縄の歴史的立場を理解するための、沖縄差別への罪責の自覚もなく行われた。そのため「合同のとらえなおし」が課題となり、それなりに真剣に取り組んできた。しかし、2002年、第33回(合同後18回)総会で「合同関連議案」をすべて審議未了廃案としたため「沖縄教区」は「当分の間、距離を置く」という意思表示をして、本土への問題提起をしている。沖縄との関係の根幹には、琉球処分以降、基地を押しつけて、日米の安保体制の不合理を憲法体制から根本的に糺さない本土側の責任が問われている。昨年4月25日の「普天間閉鎖、国外・県外移設を求める県民集会」以後、沖縄は保守の知事を巻き込んで「普天間基地問題」の解決を主張するが、米国主導の「辺野古原案」の「日米合意」(5月28日)推移の責任は、日本の政府だけではなく民衆の無関心に帰せられるところが大きい。東京新聞などの例外はあるとしてマスメディアの責任を問うことを忘れてはならない。教団首脳部が事柄の本質的理解から遠いことには怒りを覚える。沖縄戦の死者、その後の基地犠牲者は「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」と共に死に続けている。

3.原発

脱原発への祈り(サイト記:『新生』第34号《2011.7.20発行》所収の祈祷)

 主イエスの父なる神様 一時も心が晴れることなく、重い憂いとして東日本大震災の惨状と被災者の現状が私たちの日常を覆っています。激震と大津波で命を奪われた、肉親・友人・親しい関係者を想って悲嘆のどん底にある人たちに神御自身が寄り添って慰めをお与え下さい。家屋・財産・仕事など生活基盤の一切を奪われて絶望のうちにある人たちに慰めをお与え下さい。過酷な避難生活を強いられている人たちに、仲間と共に、困難を担い合い励まし合って、現状を打開してゆく力をお与え下さい。未曾有の原発事故で故郷の山河の里の生活の一切を断ち切られ、先行きの見えない棄民・難民の生活を日々強いられている人たちに、苦難を訴え、事故の根源的問題に対峙しつつ、生き抜いてゆく力をお与え下さい。被災格差の中、先駆けて家業・企業・産業・地域の再起・復興に立ち上がっている人たちに知恵と気力をお与えください。

 私たちは、原発について、その危険とそれを推進する構造的力に如何に無知であったかを自覚し、今更の如く懺悔いたします。事故を必然ならしめたこの国の利益追及の原子力エネルギー政策を容認し、特に首都圏で電力を何の自覚もなく消費してきた私たちは、東北の過疎地被災地域とその被害者への加害責任を負っていることを覚えます。原発について余りにも無知であった事を懺悔します。原子力基本法の原子力の推進を空気のように当然のこととして、原発について政府・電力会社・関連企業、そこから膨大な宣伝費がでているマスメディア、そして「御用学者」といわれる研究者のご託宣による「原発安全神話」に埋没して全く無批判であった事を、心から懺悔します。良心的な研究者やライターの人たちが、核廃棄物が人類には処理不可能で、それを前提としたエネルギー消費は、神と人間の生きるモラルに反するという事、安全な原発などというものは不可能である事にやっと気がつかされました。原発反対に情緒的には加わって来たといっても、本腰でなかった事を懺悔いたします。お赦しください。

 福島第一原発事故のため、何の「罪」もないのに、我が家・我が街・我が仕事を追われて棄民とされたフクシマのあの地域の人達は、とめどもない私たちを含めて民衆の無関心の犠牲者です。その犠牲の歴史には、ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸の放射線被害の人たちがいます。チェルノブイリ原発事故の被害や劣化ウラン弾の放射線被害に苦しみ、白血病で命を失っていくイラクの子どもたちがいます。これらの多くの人達の犠牲の上に私たちは、原子エネルギーを推進する日常を生きて来ました。この人達は私たちの「贖罪」なのです。

 聖書ではパウロが

「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト、汝らの眼前に顕されたるに、誰が汝らを誑(たぶら)かししぞ。」(ガラテヤ人への書 3:1、文語訳聖書 1887)

 と言っています。

 イエスは今も「十字架につけられ給ひしまま」これらの人の傍らにおられることを深く覚えます。「十字架の死のイエス」からはほど遠いところにいる自分に気がついて「キリエ・エレイソン」(主よ、あわれみたまえ)と呼ばわります。

 神様、今、私の机の上には本が積まれています。高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)、田中三彦『原発はなぜ危険か』(岩波新書)、内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞社)、小出裕彰『隠される原子力・核の真実 − 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社)、瀬尾健『原発事故…その時、あなたは!』(風媒社)、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被爆の脅威 − 原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書)、広瀬隆『福島原発メルトダウン』(朝日新書)、鎌田慧『日本の原発危険地帯』(青志社)、開沼博『「フクシマ」論 − 原子ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。

 全部きちんと読んだ訳ではありませんが、原発は、景気を保つエネルギーの問題などではなくて、世界の人間の生存に関わる、命と共生の価値観の問題なのだということに気がつきました。原発で利益を得る巨大な勢力とその戦略に対する熾烈な闘いです。加害者であることからどのように脱却して、世界の放射能被害弱者と連帯するかの問題です。「脱原発」をどう闘うのか、知恵・連帯・気力をお与え下さい。運動ができる人は運動を、保育者・教育者は子どもを守ることを、老人ホームで静かに過ごしておられる方は祈ることを、それぞれの遣わされた場で励むことができるように、導きをお与え下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

4.免職

「免職通告」を寿地区の「路上生活」の人々が悲しんでいる。

 北村慈郎(以下北村)さんは「炊き出し」に関わる、神奈川教区 寿地区委員会委員長である。

「私の中では聖餐を礼拝参加者の誰にでも開くということは、イエスに従ってこの世の最も小さくされた人々と歩もうという教会の姿勢の現れであり」(本誌3月号 p.55)

 と言っている。これに対してある方々は「聖餐と炊き出しと何の関係があるのだ」「教団の秩序の問題だ」と言うだろう。その関係が分らないことに憤りかつ悲しむのだ。

 第二に「免職通告」の手続きの陰湿さだ。まず「教師委員会の三分の二の多数派工作(戒規決定必要数)」が仕組まれた。それ以前に「委員選考委員会」や、教団総会議員の東京教区選出教団総会議員の全数連記制による多数派工作。加えて今回の教師委員会のやり方は「拙速、粗雑」(「前掲誌」北村氏)、権力的・隠蔽的・知能犯的である。「誰でも戒規を申し立てられる」という内規の改定。その日付けに合わせた小林貞夫氏以下「信徒常議員7名」の申し立て。エリート信徒に行動をさせ、暗にそれをよしとする黒幕たちの存在。その陰湿さに憤り、悲しむのだ。

 第三に「免職通告」が法解釈の絶対主義であることだ。「教憲教規」違反であるというが、教規に「未受洗者配餐禁止」の明文規定はない。「陪餐者」という教規上の概念が「バプテスマを領したもの」とだけ規定されている。実際の聖餐で未受洗者を除かねばならないとは、推測からの論理であり、教規への恣意的解釈が多大に入っている。これを戒規適用の根拠とするのは「教憲教規主義」である。「聖餐」の解釈には歴史的・神学的・聖書学的に多様な立場がある。教団は1950年10月「会派問題に就いての報告」の中で「信条解釈に際して相違が生じた場合には、法的措置の前に、必ず神学的論議の領域が設定されることが必要であろう」(『日本基督教団資料集』第3巻 p.128)と記録している。聖餐の「開・閉」は神学的論議の必要事項である。ましてこれをもって「本教団の秩序を紊(みだ)る行為」(戒規規則4条の(4))とするとは「異端」の断罪に等しい。特に北村さんは、この問題が抽象的な神学問題ではなく「戦争責任を背負う教団のアイデンティティ」と関連していることを終始主張している。教団内にはこの点を抜きにして「教団形成」は有り得ないと考えている者は多い。教団総会の多数派であるからといって多数派の法解釈を「正義感」をもって絶対化する奢りに対して、憤りと悲しみを抱く。

5.七転八起

神戸の韓晢曦(ハン・ソッキ)さんを紹介したい。

1919年 韓国済州島生、6歳で日本在住。商工人・歴史研究家・教会人。
同志社大学卒、77歳で神学博士。青丘文化賞、神戸市文化活動賞を受ける。
主著『日本帝国主義下の朝鮮伝道』。1998年没 享年79。

『人生は七転八起 − 私の在日70年』(岩波書店1997)

「絶えず前方をみるように心掛けて、後方を振り返ってはいけない」(カール・ヒルティー)