信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。− 愛は疾走する(2011 聖書の集い・パウロの言葉 ①)

信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリント2 13:13、新共同訳)

「新約聖書のパウロの言葉から」①
2011.7.20、湘南とつかYMCA「現代社会に生きる聖書の言葉」第17回

(健作さん 77歳、明治学院教会牧師)

コリントの信徒への手紙一 13章1-13節

1.パウロ。紀元前後〜60年頃生存。キリスト教を世界的宗教にする端緒を開いた伝道者。ユダヤ人で小アジアのタルソスの出身。ユダヤ名はサウロ。ローマの市民権を持っていた。ユダヤ教時代はファリサイ派(律法を厳格に守る派)。パウロの名による書簡が新約聖書中に13あるが、真筆は7つが定説。ローマ、コリント1・2、ガラテヤ、フィリピ、テサロニケ1、フィレモン(パウロ書簡という)。その思想はキリスト教の歴史に圧倒的影響を与えた。生前のイエスには出会っていない。

 成立して間もないキリスト教に対してユダヤ教から迫害が起こった。それは「旧訳聖書」に基づく律法を順守するもののみが神による救いに与かることを信じていたユダヤ教徒にとっては、律法によらず全ての人は等しく「罪人」であり、罪人が神によって赦されるとするイエスの教えは、神への冒涜と映り、そのイエスの教えを継承したヘレニスト(ギリシャ人)キリスト教徒がまず迫害された(使徒言行録 6:1-8:3)。

 サウロは迫害の先頭に立った。しかし迫害の途上、幻の中で復活のイエスと出会う体験をしてキリスト教徒になった。ユダヤ人だけでなく異邦人も救いの対象とされているというヘレニストの主張を受け継ぎ、「信仰義認論」を展開して異邦人の伝道者を自認した。

 3回の伝道旅行を行い、小アジアやギリシャ地方に諸教会を成立させた。パウロより初期の先達から「イエスは万人の罪の贖いとなったという“贖罪論”」を受け継いだが、彼自身の神学を展開する際は、イエスの「死」と「十字架」とを区別して、後者の「殺害されたイエス」を強調した。それは「愚かさ、弱さ、つまずき、律法による呪い」に他ならないが、神はそこを逆説的に肯定して、そこをこそ「賢さ・強さ・祝福」とするのだ、という十字架の逆説を説いた。

 彼が肉体に与えられていた「とげ」(障害)の除去を祈った時に与えられた「力は弱さにおいて完全になる」との言葉がパウロ理解の基盤になる。彼は終生逆説に生きた(参照コリント2 12:7-10)。(参照『岩波キリスト教辞典』)

2.コリントの教会。コリントはギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶ交通の要路・商業都市・ロ−マ帝国アカイア州の総督の定住地、人口60万のうち20万は奴隷、ギリシャ哲学の盛んな文化都市。

 ここでパウロは1年6か月伝道した。教会は社会的弱者が構成員。ユダヤ人よりは異邦人が多く、教会内に問題の多い教会で、去った後、教会の具体的問題の解決のため書かれた書簡。12−14章は「霊の賜物」と題して、教会からの質問に答えた箇所。13章は「愛の賛歌」といわれる。12章の「キリストの体・教会」に続けて、愛の永遠性について説いた箇所。

「信仰、希望、愛」は「キリスト教的実存」の「三和音」あるいは「恩寵の三和音」などともいわれ、信仰も希望も愛に結実することがいわれている。「信、望、愛」という書になって昔から、キリスト教徒に愛される、座右の銘に用いられてきた。

3.哲学者・飯島宗享さんは、いつか随筆で、4節以下を大変面白い読み方をした。

 パウロは愛について忍耐深いといってみたが、十分ではない、情け深い、といってみたが、それでは言い尽くせない、そこで妬まないといって、それでも不完全だ、自慢ぜず、高ぶらない、礼を失せず、といった。でも十分ではない、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない、といったが、ますます言い表せない。不義を喜ばず、真実を喜び、といったが、愛はそんなものではない。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐えるといってみた。しかし、言い尽くせない。

 言葉の概念からはこぼれ出てしまう、何か完全なものをおぼろげに想像した。

 そして、最後に残るものの彼方に愛を描く。そのように「疾走する実存の変化」を表したのが、パウロの生きる姿だといった。

 愛とは何か。

 それは如何なる定義でもとらえることはできない。何故なら愛は関係そのものだから。

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(2011 聖書の集い・パウロ ②)