野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。(マタイによる福音書 6:28、新共同訳)
「福音書のイエスの言葉から」③
2011.2.16、湘南とつかYMCA「現代社会に生きる聖書の言葉」第9回
(健作さん 77歳、明治学院教会牧師)
マタイ 6章25節−34節
1.これは大変有名なイエスの「山上の説教」としてまとめられた「言葉」です。
最終的には、マタイによる福音書の編集者がまとめたものですが、それ以前にイエスの言葉を大事にするグループの「教会」で「語録集」としてまとめられたものがあって、マタイはそれを用いたというのが、研究者の見解です。
格言的言葉を大事にするという伝統は、古くはエジプトにあり、旧約でも「箴言」旧約外典「ベン・シラの知恵」やユダヤ教のラビの言葉、ギリシャ・ローマの賢者の言葉に並行句や類似した言葉があります。
格言や諺は、元々はある生活の状況があってそこで語られたものです。しかし、その真理性が一般的に妥当で有ればある程、状況抜きで言葉だけが伝えられて行きます。
イエスの言葉も、それぞれに状況があって語られたものだと思われますが、その状況は抜け落ちて伝えられました。言葉だけが纏められる結果になりました。
読む側も、それを自分の状況に合わせて用いることになりますから、普遍的価値が出て来て、長年人々によって愛され、大事にされてきました。
このような格言集は、1945年にエジプトの寒村ナグ・ハマディで発見されて『ナグ・ハマディ文書』として発表されました。岩波書店の翻訳、第二巻の中に「トマス福音書」として残されたものや、『新約聖書外典』(講談社)の中の「トマスによるイエスの幼児物語」も面白い物語が沢山あります。
2.さて「野の花を見よ」を含むイエスの思い煩いへの戒めは、初めから非状況的言葉として語られたものではないと思われます。
例えば「ソロモンの栄華」を野の花との対比で語ったその奥には、その言葉の中にイエスの時代の、神殿体制、そしてそれをさらに包むように支えるローマの政治体制が暗黙のうちに示唆されています。
当時のローマ帝国は、帝国の隅々にまで皇帝の名による都市建設を行っていました。その対極には、生活にあえぐ民衆がいました。農民であるのに食物や衣にも事欠く人々がいたと思われます。その人たちをその状況で励まし、力を与える言葉として語られたものと思われます。
単なる「人生への悟り」の教訓ではなくて、最底辺の歴史の状況を生き抜く力を与ええる言葉であったのではないでしょうか。
3.さて、私たちは、この言葉でどのような励ましを受けているでしょうか。
その励ましを分かち合う話を交わしたいと思います。
どの句に、どんな時に出会ったか、それぞれの個人史における経験を大事にしたいと思います。そこには、自然を自然とすることを含めて、人間への肯定が語られていないでしょうか。
かつて、加藤周一さんが、南北問題を語った時、
「自分はこの貧富格差の問題を捉えるのに既成の宗教には期待しないが、聖書のイエスの『野の花を見よ』という言葉がどんなに力になるであろうか」
と言ったことを思い出します。
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(2011 聖書の集い・イエスの言葉 ④)