2010年4月24日 キリスト新聞
(明治学院教会牧師、健作さん76歳)
生活協同組合パルシステムに牛乳をたのんだら「いわて奥中山牛乳」がきた。奥中山は今でこそ酪農、そしてスキーと温泉の観光地だが、太平洋戦争以前は日本軍の軍馬の供給地だった。
戦後この寒冷高地が払い下げられ、開拓団が入って艱難辛苦の開拓が続いた。奇跡か、開拓団長・八重樫治郎蔵、副団長・野澤義男、事務局長・川守田燦三が皆キリスト者であった。
その辛酸は『奥中山・無番地物語』(やえがしこうぞう著、本の森 2004)に綴られている。初代3人の祈りが実って、今や、堂々たる会堂の日本基督教団 奥中山教会は100人近い信徒と共に礼拝を守っている。
1972年設立の「カナンの園」は13の社会福祉施設及び学園を運営している。その一つ「ひつじ工房アドナイ・エレ」のことは本紙2月20日付に生活支援員の戸田睦子さんが語っている。「みことば煎餅」を作っている「シャローム」では障害者一人ひとりに合わせて機械が動き、作業が進められている。
人間が人格として限りなく大切にされ、自然との調和が活かされる。大都市一極の文明が荒廃する中で、信仰と共に生きる田舎に生命が漲る。
都市キリスト教会も「辺境」から学ぶべきではないのか。筆者は昨夏ここの地を訪れ、励ましを受けた。
奥中山教会
涙。沖縄の叫び(2010 望楼 ⑬)