基地のキリスト(2010 田中忠雄 ④)

  ヨハネによる福音書 8:1-11

2010.2.17、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ ④」

1.この作品は田中忠雄さんの創作理念をよく表現している一枚である。ご自身で書いている創作ノートに目を通しておこう。

「背景に米軍のキャンプなどに張りめぐらせてある鉄条網が見える。キリストはきびしい表情で問答の相手を見すえている。多少の説明を加えないと主題の意味をわかってもらえないのは画家として苦しいことだが、画面左端イエスの後ろに見えるふたりの女は基地周辺で生活する女として描かれたものであり、イエスと向かい合っている4人の男女は律法学者やパリサイ人たちを表す。つまりこの作品は占領下の日本の一断面を描こうとしたわたしの意図であり、発想の素因は立川でのわたしの印象と、ヨハネ8章にある。ここの記述を読んだとき、、ローマ軍によって治められた当時のユダヤ国と自分の国の現状とがいろいろな点において近似していることを痛感し、聖書による主題を現代的に意義づけようとの試みに着手したのであった。」(創作ノ−ト p.106)

2.米軍基地は日米安全保障条約(1951年) によって第二次大戦の講和条約(1951年)後も占領下から継続して存在し続けてきた。

 田中さんがこの絵を描いたのは1953(昭和28)年である。

 杉並の家は戦災で焼け、北海道に疎開していたが、戦後、武蔵野に苦労してアトリエを建てた。この絵の創作は多分その地での仕事であったであろう。立川米軍基地には比較的近い所であった。近いとは言え、その頃、基地の存在が異様なことだと感じていたこの画家の感覚は鋭いと思う。いわゆる「基地の女」のことは当時心ある日本人の痛みとなっていた。

 しかし、「外国軍隊が存在する限りその国は独立国とは言えない」という、当たり前の感覚を「常識」というなら、多くの日本人は、その当時も、戦後60年間もその感覚を失ってきた。基地があるのが当たり前(常識)であった。そうして今でも健全な「常識」を失っている。

 しかし、田中さんは、その基地の異様さを、キリストと結び付けた。これは田中さんが苦労して戦後を生きてきたことの表れではないだろうか。年譜をみると1945(昭和20)年のところには

「敗戦と疎開とによって生活の道をうしない、千歳の米軍キャンプで肖像を画描いて切り抜けたが、農村での生活は一つの経験であった」( 図録 p.114 )

 とある。その感覚を、ヨハネ8章の「姦通の女」のイメージと重ね、ローマ占領下のパレスティナにもこのような女がいたであろうと聖書の読みを大胆に深めた所に、田中さんならではの感覚がある。

3.この絵の構図は、「キリスト」(イエス)と「律法学者・パリサイ人」(権力者)とが鋭く対立することで真ん中で二分されている。それを背景の基地のフェンスの横線と衣の裾の斜めの線が繋いで構成されている。右のグループの中の2人の顔の方向を逆にすることで全体の構造に2分化が際立つのを抑え、構造に厚みを持たしている。どうもキリストと鋭く対峙しているのは、一番前の人物ではなく左端の大物らしい。胸の当たりに固められた拳とキリストを睨み付ける目が、大物の存在感を表している。前の人物は手下であろうか、右手が後ろの人物を指さしていて、代弁者の役を務めているようである。

「基地の女たち」は何処でも、法すれすれの線で生活をしていたに違いない。因みに「売春防止法」の公布は1956年だが、基地周辺では、個々の女たちの責任というより組織的暴力を背景とする売春が行われていたに違いない。個々の女を責めるまえに、暴力的装置としての基地や国家の構造をそのままにして利権をむさぼる権力者とその手下にたいして、おおきな手を広げて、足をふんばり女たちの前に立ちはだかって、彼女たちを庇う人として「キリスト」は描かれている。まさに「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言っている。女が3人出てくるが、体制側の女は美しく分別があり、権力者の脇役として描かれているのに対して、基地の女は、怒りと不安の表情をもって描かれている。黒い線の輪郭が荒々しい中で、濃やかな筆使いである。

 色調は、青と白が基調となっているが、キリストに青を使うことで、躍動感を表現しているように思う。いずれにせよ、この絵は田中さんの作品のなかではユニークなものである。

4.聖書のテキストのことに触れると、ヨハネ8章のこの物語には新共同訳では括弧がついている。これは本来ヨハネ福音書には属さない文書であって、早い時期に異本からの挿入されたものであることが通説になっている、ヨハネには「律法学者」が一度も出てこない。なぜここに入ってきたかについては、初代教会が「背教者」を教会に再び受け入れるという文脈で入れられたという説もある。とするとこの物語本来の趣旨とは随分異なった理解になる。田中さんは、律法学者への批判という本来の理解を現代に生かしている。

洋画家・田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ(2009.12-2010.9)

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