ヨシュア別れのあいさつ(2008 小磯良平 ⑧)

2008.10.15、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」⑧

(明治学院教会牧師、健作さん74歳、『聖書の風景 − 小磯良平の聖書挿絵』出版10年前)

ヨシュア記 24:1-28

 小磯さんの聖書挿絵は「十戒」の次は「ヨシュアの別れのあいさつ」になっている。この間、旧約聖書の約170頁にわたる出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、には挿絵はない。それらの書物は「十戒」に象徴される「律法」の詳細と、指導者モーセがその意を帯して、民族の不従順との間で如何に苦労するかの連綿とした記述である。

 舞台はシナイ半島の荒れ野であった。事が満ちる期間の象徴である40年間をこの民は彷徨し続けた。モーセは昔神がアブラハムに約束して、子孫に与えるとされた「約束の地カナン」(創世記12:7)をヨルダン川東岸モアブの地から遥かに見渡しつつそこに入る事なく、彼の手で後継の指導者ヨシュアを立てて死んだ(申命記 34:5-9)。

 ヨシュア記は指導者ヨシュアに率いられて、いよいよイスラエル民族が「約束の地カナン」を占領して定着する物語である。ヨシュア記(1-24章)を通読すると、「主がイスラエルの家に約束されたすべてのよいことは、みな実現した」(21:45)という言葉で土地取得の事が纏められている。この書物の編集・執筆は紀元前7世紀(あるいはもう少し後の前6世紀捕囚時代)の申命記的歴史家だと言われている。この人達は、ヨシュア記、士師記、サムエル記(上、下)を一貫した歴史叙述として纏めた歴史家達であった。イスラエル民族のカナン征服は、歴史的には紀元前1250-1200年頃と言われているから、それから数百年後の記述である事を考えて読まねばならない。それぞれの物語には伝承や資料があったに違いない。

 例えば、「ヤシュルの書」(10:13)にあると言われている「日よ、とどまれ ギブオンのうえに…」などの詩はなかなか味わいがある。私は改めて今ヨシュア記を通読してみて、随分残酷な「聖戦」物語のような気がしてならない。が、当時、圧倒的軍事力を前にした小部族が、かつてエジプトの奴隷からの解放の時、「主があなた方のために戦われる。あなた方は静かにして(黙して)いなさい」(出エジプト14:14)と言われたことを思い起こすように、ヨシュア記は綴られている。ヨルダン川を渡る記事(3章)も、出エジプトの紅海渡渉の時、海が分かれる物語そっくりである。実際に、イスラエルのカナン侵入は、エジプトのラメセス2世がヒッタイトとの戦いに失敗した後、カナンの支配が緩んでいた時期であったという。さらに都市国家の勢力の及ばない地域、特に山地や荒れ野を切り開いて、イスラエルの人々はこの地に定着することができ、小家畜の飼育をしながら次第に土地を耕して自営農民になっていったと考えられる(参照:木田献一『旧約聖書概説』p.23、1980 聖文舎)。ヨシュア記冒頭の「遊女ラハブ」の物語などは、軍事的弱者の側の語り伝えたエピソードであろう。

「聖戦」を思わせる戦勝に近代の「帝国主義侵略戦争」のイメージを重ねない方が良いかもしれない。指導者ヨシュアは、モーセの後、カナン征服の大使命を成し遂げた。それはひとえに「イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」(10:42)に尽きる出来事だった。彼は老いて、死を目前にして、民の代表を集めて別れの挨拶をする(24章)。内容はヨシュアがイスラエルの歴史を回顧し、その経験から民がどう生きるべきかを述べる。これは申命記的歴史家の思想でもある。

「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え…」(24:14)と叩き込む。「もし主を捨てて外国の神々に仕えるなら…(主は)あなたがたを滅ぼし尽くされる」(24:20)となかなか厳しい。民は「主に仕え、その声に聞き従います」(24:24)と約束する。「その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び」(24:25)とあるので、この箇所の新共同訳の小見出しは「シケムの契約」となっている。

 小磯さんの絵の場面は、単なる一方的なヨシュアのお別れの演説ではない。将来を見据えた、ヨシュアと民全体と近くに呼び寄せたイスラエルの部族の「長老、長、裁判人、役人」(24:1)への問いと応えがやり取りされる緊張の場面である。

 それは「契約」として「掟と法」に定められたとある。

「次いで大きな石をとり、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた。『見よ、この石がわたしたち対して証拠となる…』」(24:25-26)

 小磯記念美術館の『図録』では口語訳を用いて、この24-26節を引用しているので木は「かしの木」となっているが、訳し過ぎの感がある。テレビンの木はシリヤ、レバノン、パレスチナに自生し、10メートルを越す大木になり、果実からはテレビン油が得られる。その荘厳さから古代では聖木と考えられ、聖書での言及は多い(創12:6, 14:13等、申11:30、イザヤ6:13を含め12箇所)。

 小磯さんの作品は人物画がほとんどで風景などで樹木を描いたものは少ない。1938年の作品に「林本源庭園」という作品がある。大木の荘厳さを漂わす庭園である。

 その絵を思い浮かべつつ、テレビンの木を描いたかも知れない。背景の山の稜線や時間の経過を見守ってきた大木と、生涯の生き様を揮身の身振りを交えつつ語り残すヨシュア、そしてそれを受け止め、応える民の群像が緊張をもって描かれている挿絵である。

 一番右手前に描かれている人物は、私には母子像のように思えるのだが知何なものであろうか。歴史の緊張の場面に母子像を配置するのは小磯さんの感性であろうか。


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洋画家・小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ

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