教団よ、「戦責告白」を大事にせい。(2008 戦争責任告白・清鈴園)

2008.10.15 執筆、掲載誌不明(西中国教区の報告書か)

(明治学院教会牧師、健作さん75歳)

 10月初め、広島で「清鈴園」の企画担当で「第32回 日本キリスト教高齢者福祉 研修会」が行われ、私は「“戦争責任告白”の歴史的意義とその現在」と題して講演を頼まれた。

 福祉分野の錚錚たる専門家に、どう「戦責告白」の思想的意義を伝え福祉との関連を思考してもらえるかに苦心した。

 それにしても広島の原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」の碑文の「主語」のない没主体に、僕はいまだに納得がゆかない。

 膨大な碑文論争で、広島市は「すべての人々(We)」との解釈をしている。

 論理的には正しいであろう。しかし歴史的ではない。

 歴史を捨象しては主体というものは明確にはならない。

 清鈴園は、原爆被爆者への関わりの「教団決議」(1968年)以来の、渾身の主体の表明として40年を歩んできている。

「高齢者福祉」は厚労省の方を向いて顔を窺う時代ではない。政治が福祉を新自由主義に丸投げするのに対して、今は、貧しくされた者たちの声を携え、福祉従事者も利用者も声を上げ、福祉の主体を示す時代である。

「戦責告白」が福祉における主体へのいささかの問い掛けである事を祈る。

 最後に一言、「教団」は「戦責告白」を大事にしろ。

(サイト記)講演「“戦争責任告白”の歴史的意義とその現在」のテキストは未入手。2ヶ月後に農村伝道神学校での講義で同じタイトルのテキストを配布しているのでご参考まで。

▶️ ”戦責告白”の歴史的意義とその現在