聖書に出会えば、何かが起きる(2008 礼拝説教・安中教会 創立130周年)

2008.3.30、安中教会 創立130周年記念礼拝、復活節 ②
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(牧会49年、単立明治学院教会牧師3年目、健作さん74歳)

初めに、神は天地を創造された」創世記 1:1
貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」ルカ 6:20

1.ブラジル聖書学習運動に参加した経験の事。

(サイト記:2004年7月-8月、渡辺英俊牧師(なか伝道所)と共に小井沼國光・眞樹子牧師夫妻を訪ね、ブラジルの旅。ブラジルで70歳の誕生日)

 全体の指導はシゲ神父(旧約学者、中ノ瀬重之神父。長崎出身、南山大学。「解放の神学」の活動者)。

 参加者が音楽・絵画・劇表現を含め「体験」として聖書を学ぶ。

 シゲ神父は、聖書を非常に単純に「三角の神と丸の神」の「戦いの歴史」の書物だと捉える。

 三角(△)の神は、底辺が奴隷で、競争により三角の頂点に至るほど、権力が増す。

 丸(◯)の神は「人格的配慮」が行き届くほど、一人一人が重んじられ、輪が広がる。

 旧約の歴史を◯と△で捉える。

2.新島襄は△の神(富国強兵)から◯の神(人格教育)へ移った。

 聖書との出会い。帰国後、郷里の群馬県・安中に布教。

 30名の受洗者。それがちょうど今から130年前、1878年(明治11年)の3月30日。

3.新島の子たち。

「富国強兵」ではなく、一人の人格を重んじて、奉仕をする。

 留岡幸助、山室軍平、山本宣治、安中に関係ある人では、柏木義円、湯浅治郎など。

 貧しき人、抑圧されている人、差別されている人に仕え、戦争の遂行に否を唱えた人々。

4.相野田の松井十蔵のこと。

 1883年、海老名弾正より安中教会で受洗。養蚕・製糸に励み、小野村の発展に尽くす。

 松井七郎著『安中教会 初期農村信徒の生活 ー 松井十蔵・たくの伝記』(第三書館 1981)。

 曽孫から二人の牧師。村田元、岩井健作。

(サイト記)健作さん(現•安中教会員)は母方で安中教会の4代目(安中教会5代目との説あり)、祖父と父•岩井文男さんが甘楽教会出身で、父方では3代目となる。安中教会創立が1878年(明治11年)、新島襄による安中宣教開始が1874年(明治7年)に遡るため、松井十蔵さんのご両親が信徒であった可能性があるということ。

5.△と◯は、自明のことではない。私の牧会経験から。

”一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。”(ヨハネによる福音書 12:24、新共同訳)

 イエスの十字架の死は、△が◯になる、大きな転換点とその根拠。

6.関わる相手から教えられること。

 幼稚園で自閉の情緒障害児をお預かりした経験。

 統合保育の論理と担い手の生き方。◯のつもりが、△だった経験。

7.榛名の新生会のこと。

 群馬で実を結んでいる福音の出来事。

 昨年50年を迎えた社会福祉法人「新生会」と創立69年を迎えた財団法人「榛名荘」のこと。

 理事長•原慶子著『福祉コミュニティの礎』(ドメス出版 2007)を読んで。

 国家の福祉政策の市場化路線を批判し糺す書物。

 イエスの十字架の苦難を知り、「自然・いのち・平和・芸術」の統合としての、いわば「聖書の真理」から構築する福祉が目指されている。

 絶望的三角(△)の現実への、丸(◯)の価値観からの希望と闘いが溢れている。

8.貧しい人たちからの視点。

 ブラジルの佐々木治夫神父は、フマニタス慈善協会を運営して「貧しい人」の幸いを現実化している。

 そこには三角(△)の神ではなく、地べたの神、苦難を共にする神、どこまでも低きにいます神、「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」(ガラテヤ 3:1)、「丸(◯)の神」がいまし給う。


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