2008.2.17、甘楽教会 創立124周年記念礼拝
群馬県 甘楽教会(健作さんの父方の母教会)
(牧会49年、単立明治学院教会牧師3年目、健作さん74歳)
マルコによる福音書 10:13-16
1.甘楽教会と私
甘楽教会は、祖父がキリスト教に入信、また父が富岡中学の時に受洗した教会。
私も太平洋戦争時下、1944年、半年間、疎開児童として日曜学校へ通いました。
2.今日、何をお話しすべきか。
ちょっと悩みました。
甘楽が幼児教育を宣教の課題として負っていると言うことで、私の閃(ひらめ)きで、このテーマを選びました。
3.幼児教育は、大いなる教会の課題。
私が主任として牧師生活を営んだ教会は、全て幼稚園がありました。
全部「102条園」です。
日本の初期キリスト教の担い手たちは、地域への働きとして「教育」の分野を大切にしました。同志社然り。新島学園然り。
各個の教会も幼稚園や保育園を宣教の重要な分野にして来ました。
しかし、これは国家の教育政策とは水と油の関係でした。
教会の幼稚園はどうあるべきか。私立幼稚園の機構を含め、私自身苦労して来ました。
4.「一人の子ども(金森康明くん)との出会い」
園長の役目は「子どもと仲良くなること、遊ぶこと」。
金森康明くんは3歳児で入園、退園、平井信義先生の勧めで、5歳児夏に再入園。
情緒障害児、自閉症児。「お預かりしましょう」。
5.一人の教師のKさんの奮戦。
保育者難の時代。頼りの教師の言葉「園長先生がお預かりになったのだから、園長先生がすればいい」。
困惑の極み。自由遊びの奮戦記。インクまみれ。トイレットペーパー、バックミラー事件など。
クラスへの編入、健作ちゃんと一緒に、野菜を入れた讃美歌。クラスのお母さんから反対と理解、K教師の奮闘。
役員会での相談、覚悟「牧師がイエスの友である障害の子に関わるのだから、みんな一緒に取り組みましょう」。
康明くんの変化、その存在が当たり前(統合教育)。
小学校入学を前にしたお母さんの焦り、特訓、康明くんの動揺、北風と太陽の話、悲しみの共有、杉並幼稚園への見学、卒業式の感激、障害児の親の会、地域の変化。
6.教会が変わった。
康明くんとの出会いが、幼稚園のあり方を変え、教会のあり方を変えた。「幼な子がわたしのところに来るのをとどめてはならない」というイエスの招きの意味。
7.結び
子どもに出会うことは、飼い葉桶の幼な子に出会うこと。
「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」(ガラテヤ 3:1、文語)に出会うこと。
124周年記念日から「子どもに出会う」道をますます辿(たど)られるようにと祈る。
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