医者と病人の譬え(2008 聖書の集い)

2008.2.20 「福音書の中のイエスの譬え話」第11回
湘南とつかYMCA「聖書の集い」

(明治学院教会牧師 74歳)

マルコ福音書 2章13節−17節 レビを弟子にする 新共同訳

 イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席についておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

1.イエスがレビという名の取税人の家で食事をしていた時の話。取税人は税関の下請け役人。職業上外国人に接するので「汚れ」たものと見做された。不当に金銭を巻き上げるのでその取税人全体が「盗賊」呼ばわりされた。政治支配者は請負制で税金の取り立てを請負者に任せた。実際には請負人の頭とその下請けの小者とは立場が異なっていた。小者が実際の税金を取った。レビはその小者。

2.「罪人」は宗教的意味での罪人(ロマ 5:8、ガラテヤ 2:17)を意味していると考えてよい。全ての人は本来「罪人」なのであってイエスはそういう意味で万人が招かれていると解釈する。すると、この言葉は極めて逆説的意味に取れる。

3.逆説は「罪」の概念そのものに疑問符を付けている。第一の論争物語(2:1-12)は一応罪の概念を前提した上に立ってその罪の許しについて論じた。13−17節では罪(律法を守れないこと)を「罪」(人間からの排除)として規定するパリサイ的律法主義のあり方そのものを問題視しているのである。取税人や罪人と共に食事をするというのは(罪が赦されて初めて可能になるというのではなく)パリサイ的律法主義者から見れば社会から排除されてしまうような人々と積極的に連帯しようというのである。こういう人々を排除して成り立っている「義人」の立場には組しない、というのである。人間を「罪人」とみなして「義人」と差別し、共に食事をすることすらしないという人間的分け隔てを批判しているのであり、それも言葉の上で批判するだけではなく、むしろ現実的にその人々と共に食事をすることによって、彼らを罪人と決め付ける視点をそのものを行動的に廃棄するのである。ここにイエスの逆説の意味がある。常識的な規定そのものを疑問視して覆すのである(田川建三氏『マルコ福音書』による)。

4.医者と病人の比喩をもって、丈夫だと思っている人や、正しいと思っている人に対して「あなたは全く病人ではないのか」と、弱者、障害者、被差別者がそこで苦悩して生きている事への開眼を迫ったのがイエス。このイエスの比喩を現代の私たちの日常に映すと、何が見えて来るでしょうか。