想い起こすということ(2006 礼拝説教・ヨハネ・ペンテコステ)

2006.6.4、明治学院教会(34)、聖霊降臨日

(単立明治学院教会 主任牧師として二ヶ月、
牧会48年、健作さん72歳)

ヨハネ 14:25-31

1.皆様は、どんな時に「神が共におられる」ということを感じていますか。

 聖書は実に多様な形で示す。

① 愛あるところに神あり(マタイ 25:4、ヨハネ 4:21)

② 正義の行われるところ(アモス 5:14-24)

③ 創造主は自然と共に。少年の頃のブラウニング(上田敏訳)の詩を想う。

④ 祈りと共に(マタイ6:8)

⑤ 神学校で学んだ神。キリストという一回的出来事において(カール•バルト)。【キリスト論的】告白と共なる神。「イエスを神の子と告白すれば」(Ⅰヨハネ 4:15)

⑥ 神の蝕(しょく)(”そうだ、神はわたしを殺されるかもしれない。” ヨブ記 13:15)

⑦ 終わりの日に(黙示録 21:1-4)

 これらは聖書をじっくり学ぶことでの味わい。

2.「聖霊」と共なる神。

”しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。”(ヨハネ 14:26、新共同訳)

3.森有正(フランス哲学者。祖父は初代文部大臣•森有礼、父は牧師•森明。パリ在住)は、「体験」と「経験」を峻別。

 体験は過去になる。経験は体験の現在化、根本化。

 例えば、被爆体験が被爆者救援の行動へと現在化された時、より根本的になる。

4.「思い起こさせてくださる」(26節)とは、イエスの生(過去)を、現在化し、経験化し、大胆に再解釈し、自分の状況を切り開く力を与えられること。

 普遍化、一般化(教義・信条化)とは逆な方向。

 イエスの生涯・言葉・振る舞いは歴史の中に起こった一回的な出来事(福音、イエスの愛)。

 それを過去の物語から、現在の愛の出来事へと揺り動かしていく力を与えるものとしての聖霊。

5.「母を天に見送って、何だか今までより母が近くにいるような気がします」

 高齢の母を、長い病床の看取りの末、天に見送った知人の言葉。

 体験としての母が、より根本的な経験への母に開かれている。

6.使徒言行録 2章は、聖霊の働きを教会の成立へと関係づけている。

 それはイエスの出来事の現在化を意味する。

”すべての男が自分の母の面影をすべての女の中に求め「人間」そのものに到達するように、僕はすべての教会の姿の中に、僕を生み出したものを求めていたに違いないのだ。”(森有正『バビロンの流れのほとりにて』より)

 教会が自分にとって、体験から経験への生き方の深化の場になることを表現している。

 聖霊を受けることで、教会の豊かさを経験してゆきたい。


 

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