2006.6.2 執筆、全国集会を前にメッセージ
(日本基督教団教師、明治学院教会牧師、「求め、すすめる連絡会」世話人代表)
6月11日から12日の「求めすすめる連絡会・全国総会」の日が近づいてきました。この集会に向けての「基調報告」は別に、お届けいたしました。この度は、全国集会にはお出になれない方々をも含め、メッセージを書かせていただきます。
私は鎌倉に住んでいますが、毎日上空を飛ぶ米軍のジェット機やヘリコプターの爆音がひっきりなしに響くので驚いています。厚木基地から硫黄島沖での艦載機訓練飛行のための通路になっているとのことです。神奈川教区の基地問題小委員会に加えていただき、神奈川の米軍基地についての学びをしています。委員の一人、T.Tさん(O教会)は厚木爆音訴訟の原告の一人で、最近は、私に「神奈川新聞、赤旗、社会新報」の基地関係記事をとっておいてくださり、どっさり勉強の資料として提供してくださいます。それを見て気が付いたのですが、神奈川県の上空は米軍の管制区域で「日本の主権」の空ではないのです。民間機は相模湾の外を飛んでいます。想像力をめぐらして空のパイロットの意識に入り込んでみました。彼は、厳密に組まれた飛行計画を上官の命令によってこなしているのでありましょう。米軍の世界戦略の防衛意識に燃えている人かもしれません。眼下の地上の日本の市民の一人が、米軍の存在根拠である安保に拒絶感を持っていること、まして「殺してはならない」という聖書の教えにたつ人間観や世界観を持っていることなど、全く関係のない軍人として「立派な人間」でありましょう。
私たちの時代は、意識を軍隊とそれを抱え込む巨大な流れを含めて動いています。この間知人に勧められてマンガ『神聖喜劇 <第一巻>』(大西巨人、のぞゑのぶひさ、岩田和博、幻冬社)を読みました。1941年、対米英開戦の一月、教育招集で補充兵役入隊をした東大中退の東堂太郎が、「戦争は殺して分捕ることだ」という内務班長にぶつかって、彼が繰り出す不条理な強権と奇妙な論理性とが共存する軍隊の現実を、逃げもせず生きて行くすさまじさのにじんだ物語です。
「米軍基地撤去を求める」というスローガンを掲げるということが、この国では今とてつもないことだと、最近ますます重く感じています。このとてつもないことを私たちが、いのちの養いとしている教会との間で、二元的にならずに、つまり、あれはあれ、これはこれと、割り切って考えるのではなく、どこか繋げようとするとなかなかすっきりはいきません。それぞれは「生活」があり「持ち場」があり「生来の歩み」があります。日本基督教団という教会で交わりを共にしていると、この教団固有のジャンルを言葉で共有しなくてはなりません。「戦責」「合同のとらえなおし」「信仰告白」など。忍耐のいることです。
「忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ロマ5:4)を思い起こします。(2006/6/2)
(サイト記)教会員さんのお名前はイニシャルにしました。