2003年12月11日執筆、
2004年 大地震子ども追悼コンサート
(パンフレット裏表紙)
(前神戸教会牧師、川和教会牧師代務者、健作さん70歳)
地震から9年。
“亡くなったこどもたち”のお名前を声を出して朗読してみました。
青嶋恵さん、秋本恵子さんに始まり、萩野桂子さんに終わります。
激震地区の東灘と西宮には時間がかかってしまいました。
兄弟姉妹二人、三人のお名前にはご両親の痛みが一層ひびきます。
幼稚園や保育園、小、中、高の学校名には、あの時のお友達の現在を思います。
子どもたちの9年間の成長は早いものです。
例えば中尾卓馬君3歳といえば、幼稚園の笑顔が浮かびますが、いまは11歳といえば活発な小学校6年生を思います。
この二つの姿を重ねることが毎年の1月17日ではないでしょうか。
この日は決して過去になりきってしまいません。
悲しみを胸に秘めている者には、永遠の現在なのです。
世の中は、いろいろな出来事が多くて、ともすると死者の大切な日も過去の堆積の中に埋もれます。
死からものを考えない文化は人間を希薄なものにします。
地震による死者を忘れないでと、続けてきたコンサートが今年も出来て良かったと、しみじみと味わいます。
それにしても、今年はどこか心の隅で、戦争のことが体でうずいていませんか。
地震と戦争は関係がないのにそのうずきが似ています。
体が覚えてしまったこみあげる激震は戦争との共通感覚を呼び起こします。
アフガニスタンで、パレスチナで、イラクで子どもたちは今日も死んでいます。
どうしてこんなことが許されるのでしょうか。
「世界中の子供たちが一度に笑ったら」。
私たちはそんな平和を祈り続けます。
今年も、このコンサートにお寒い中、お出かけ下さって本当にありがとうございました。
(岩井健作)
