神、この人間的なるもの(2004 川和・教会報)

2003.12.23、川和教会報『麦穂』(No.16、2004年1月25日発行)所収

「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ」マタイ 3:20

神、この人間的なるもの

あの時に出会ったのは、あくまでもGという一人の人間さ。カトリックの神父といっても、一人一人みな違う。おれは一人の人間に会った。教義に会ったわけじゃあない

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欅(けやき)と共に70年、川和教会

2003.12.23

欅の葉

 この教会には、バスで通りかかって偶然「あっ、ここに教会がある」と見かけたことがきっかけになったり、何となく知人のそのまた知人が行っていたり、川和保育園に子どもがお世話になったのが御縁で、といって教会生活をしている人が多い。

 もちろん親の代からという人も当然いるし、子供の頃から日曜学校(現在、教会学校)に通っているという人もいる。

 私は、と言えば、友人の誘いがきっかけである。といっても私は西中国と関西の教会で44年間幾つかの教会で牧師を務めていて、昨年連れ合いの亡き両親の住いが鎌倉にあり、そこに住まわせて戴くことになったのでたまたま神奈川に移った。

 川和教会は前任の牧師が新しい任務で辞めて「無牧」になるので、次の主任牧師が赴任するまで、法律上の「代務者」の牧師を務めてくれないか、という誘いであった。「川和」という名前も、どこにあるのかその場所も、そしてどんな教会で、どんな人たちがいるのかも全く知らなかった。

 しかし、神の招きを覚えて、即答でこの教会に出会わせて戴いた。その「次の主任牧師」は来春には与えられる運びになった。あとわずかの務めではあるが、この教会は私の、何番目かの「ふるさと」になるような気がする。そんな思いを込めて、欅の葉の落ちた会堂を一枚スケッチをした。

 欅は農村の農繁期託児所と共に伝道に励んだ初期伝道者が手ずから植えたもの、70年になるという。

川和教会 代務牧師 岩井健作

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