モモ(1998 エンデ・文学)

児戯の復権(1988 神戸教會々報 ㉝)より

 先般、遅ればせながら、ミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店 1973)を読んだ。


「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という副題がついた、幻想的な童話形式のお話であるが、痛烈な現代文明批判を宿している。

 主人公のモモは背が低くやせて、裸足でダブダブの大人の古上衣をまとい、生地不明で、ある大都市周辺の円形劇場の廃墟に住みつく風来坊の少女である。彼女の財産は黒く美しい目と、他人の話をよく聞くという不思議な才能である。彼女は、巨大な現代都市に暗躍して、個々人から固有な時間を奪うことで生存する「時間貯蓄銀行」の「灰色の紳士」たちの巨軍に戦いをいどみ、大人たちの奪われた時間をとりもどして来る。そこには、時間の知覚をめぐって大人の「孤立」の分別と子供の遊びを通しての共通感覚が鋭く対比されている。モモは異次元からの救世主をすら暗示している。

 哲学者の中村雄二郎氏は『共通感覚論』(岩波現代文庫 1979)で『モモ』にふれて、人の話をよく聞くことは、他者の立場に自分を置く能力であり、共通感覚の持ち主にして初めて可能になる。灰色の大人の時間と対比された子供の根源的時間感覚に、共通感覚の復権をみている。

 私たちの日常的営みや社会的活動の中には「児戯に類する」ことは多くある。実利では計ることの出来ない営みはその側面を持つ。しかし、「児戯」「虚業」の復権が、我々を「みどり子イエスの誕生」の場へと導く。

「星の時間て、なんなの?」

 とモモが問うと、時間を司る人、マイスター・ホラは

「まったく一回きりしか起こりえないようなやり方で、たがいに働くような瞬間のことだ」

 という。そんな時を心に宿すクリスマスでありたい。