礼拝要旨「野の花・空の鳥」(1998 頌栄短大)

1998.4.28 頌栄短期大学チャペル、チャペル月報 1998.5 所収

(健作さん64歳)

マタイによる福音書 6:25-34


 小磯記念美術館で行われている、田中忠雄回顧展に今日の聖書の箇所(26節)が描かれている作品があります。イエス様が白い雲の様に翔んでいる鳥を指差して、たくさんの人にお話をしている絵です。そこに集まっている人は農民や、働く女性達、こども達です。

健作さんの手元にある”田中忠雄画伯の画集”より

 その日その日をやっと生きているという様な、けれども神様の恵みのうちに精一杯生きている。そんな人の姿が描かれています。

 イエス様は、なぜ衣服のことで思い悩むのか、野の花がどのように育っているか、注意してよく見なさい、とおっしゃっています。皆さんも又、幼稚園に来るこどもたちも「どんな服を着ようかな?」と悩むことがありますね。これは自己をどう装うかという、人間の自己主張を密かに象徴しています。しかし、イエス様はソロモンの栄華でさえ、たった一輪の花の装いに勝るものではない、本当に大事な事は、空の鳥や野の花を見なさい働きもしない、しかし神様に養われている。

 働きが多いことが、人間の価値を決めるのでしょうか。そうではないと思います。神様が養って下さることを本当に知っている人が尊いのです。

 幼稚園に新任の先生が来られました。あまり器用な先生ではありませんでした。園長から見てもハラハラする保育をしていました。その組で「男の子の人数が少なくなってきたので、たくさんいる園に変わります」とある男の子のお母さんが言われました。しかし、その男の子は「僕の幼稚園だもん。」と応じませんでした。男の子はその先生のことがとても好きでした。神様が一人一人のこどもを育てて下さるということを知っている保育者なのです。少しくらい技術が下手でも、こどもに通ずる大切なものを見つめていたのです。

 最近のこども達は「デジモン」などヴァーチャル・リアリティー(擬似現実)の世界に生きています。しかし、幼稚園ではどろんこ遊びが大好きです。楽しいし、気持ちがいいし、誰にでもできて、そして作品が残らない。成績がつきません。


 このように自然の中に生きるということは、どんなにすばらしいことでしょう。野の花を見よ、空の鳥を見よ、もし本当に神様のことがわかるとすれば、その自然と共に生かされていることを通して、私たちもこの様に神様が一人一人を支えてくださるんだな、ということを信じることでしょう。頭で聞いた事というのは、いざという時役にたちません。どうかみなさんがこの保育の大学で聖書を通し、イエス様のおっしゃった、空の鳥を見よ、野の花がいかにして育つかを考えてみなさい、という言葉の意味を心に深く学んでいただきたい。そういう祈りを私は持ちます。

(サイト記)このテキストは、聴き手がまとめたもの、という可能性がある気がしています。「イエス」と「様」つけた表現が連続して現れます。健作さんのテキストの中では(幼稚園児に語りかける場合や他者の言葉の引用を除いて)これは大変珍しいことです。他にも「おやおや?」と思う表現があります。内容は健作さんのもので間違いないけれども「健作さんがこの言葉遣いをするかな?」という箇所があって、興味深いテキストです。

 保育関係のデータ化はまだ始めたばかりなので、保育に関するテキストではこれがスタンダードな文章作法なのかどうか、今はまだわかりません。