雑録・日誌(1996 週報・震災から1年)

1996.2.4、神戸教会週報、降誕節第6主日

(神戸教会牧師19年目、牧会38年、健作さん62歳)

(この日の礼拝説教)ルカ 11:5-13、説教「求めの切なるによりて」


(1996年)
1月14日(日曜)

 杉並教会(東京都杉並区)主日礼拝。

 二神三男牧師は神学校の同窓。

 午前の説教と午後の特別集会「地震とキリスト教」の講演を担当。

 地震の写真パネル50点も展示され「今、東京で地震が起きたら教会は」という問題意識から、教会の信仰が語り合われた。

 時間を惜しみつつ別れる。


1月15日(月曜)

 第21回 東京教区西支区 全体研修会。阿佐ヶ谷教会。出席330名。

 西支区は約100教会が所属。現在「支区」から「教区」への独立を準備中。

 テーマは「21世紀に向かって ー 震災を通して信仰の原点を問う」。説教を担当。

 続いて「阪神大震災ボランティア活動に参加して」と題して2名の方が発題。

 西支区は地震のごく初期に、神戸イエス団教会を通じて、吾妻小学校に10週間、延べ60名のボランティアを送った。報告書「吾妻にて ー 祈り続けるために」が出版されている。

 神戸市での状況を、東京に置き換えて、教会と信仰の現在として捉える真剣な討論が午後の分団にもあふれていて感動を覚えた。

 この集会の様子は、産経新聞夕刊「宗教・こころ」欄に、1月29日・30日と2回にわたり(佐伯浩明記者の取材により)報道された。


1月17日(水曜)

 午前5時46分、神戸教会の塔屋から(6308名と言われ、なお確認困難な方がいる地震で亡くなられた方を覚えて)讃美歌「主よみもとに近づかん」をチャイムで傷ついた街の空に送った。

 夜、神戸教会で「兵庫県南部大地震犠牲者追悼礼拝」。約150名が近畿各地から参加。懐かしい顔。

 第二部はラトルスネイク・アニーさんのコンサート。讃美歌第2編167番「われをもすくいし」をはじめ、”阪神大震災”、”雪が降る日に”など、自作の歌を交えて、歌で犠牲者が追悼された。


1月21日(日曜)

 曽根教会(兵庫県高砂市 1930(昭和5)年創立)へ交換講壇。

 昭和初期、同志社労働者ミッションの同志・石田英雄牧師が、命を賭けた農村伝道で開拓した教会。緊張する。

 昨年、保育園園舎と会堂を新築。信仰の古兵(ふるつわもの)の面々が穏やかに迎えてくださる。感謝。


1月23日(火曜)

 夕方、MBS毎日放送の取材、藤村執事同席。

 神戸の街が、市民も行政も、地震で残った近代建築を、失った建物を偲ぶ意味でも、大切にして欲しいことを訴える。

 25日午後6時半、”MBSナウ”にて放映とのこと。


1月25日(木曜)〜26日(金曜)

 東京にて、教団常議員会。『地震』の本の出版につき多数の質問。


1月30日(火曜)

(神戸教会)いずみ幼稚園の親子・教師、総勢48名で、雪の残る止揚学園(滋賀県東近江市、福井達雨園長)を訪問し、交流の時を持つ。

 知的障がいの人たち、そして福井達雨・光子夫妻をはじめ職員の人たちの心からの笑顔の底に、ここ40年の真摯な歩みを深く思った。

(1996年2月4日 神戸教会週報 岩井健作)


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1996年 週報

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