幾つもの故郷 マタイ8:5-13

神戸教會々報 No.143 所収、1995.10.29

(健作さん62歳)

ナザレの村にて
  主の過ごしし
かくれし三十年
  ゆかしきかな
 (讃美歌123番)


 パレスチナ地方北部、ガリラヤのナザレがイエスの故郷であったことはよく知られています。しかしイエスが「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」と宣教活動を始めると、ナザレの村の人々はイエスを受け入れなかったと福音書は記しています(マタイ 3:53〜)。

 故郷ナザレではイエスが大工の息子(マルコでは大工)以上の者であることは理解できなかったのです。そして「人々はイエスにつまづいた」とあります。

 パウロはこの「つまづき」という概念を大事にして、「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわちユダヤ人にはつまづかせる者」(コリント1 1:23)と語ります。

「つまづきの石」とは元来旧約聖書イザヤ書8:14にある言葉です。人々が神殿で国の安泰を祈った時、「主は聖所にとってはつまづきの石」と述べて、聖所に頼って安泰であろうとする人々の功利的信仰の在り方を批判し、信仰(宗教)の姿勢をただしたのです。「つまづきの石」に積極的意味を持たせることは旧約聖書以来一貫しています。だから、故郷とイエスの関係においてもその同質性や閉鎖性を問う逆説的な「つまづきの石」としてのイエスが強調されます。


 ところがマタイ8:5-13の物語にはこれとは異なったニュアンスがあります。

 第一に、イエスの故郷はナザレだけとは理解していないのです。イエスがカファルナウムにほぼ定住に近い拠点をおいて活動したことが記されています。

「イエスはカペナウムに帰ってこられ」(マタイ8:5 口語訳)、
「自分の町に帰ってこられ」(マタイ9:1)、
「ナザレを離れ……カペナウムに行って住まわれた」(マタイ4:5)

などの表現がそれを伝えています。つまり、イエスには第二、第三の、いや幾つもの故郷が想定されます。

 カファルナウムはガリラヤ湖の北西岸、今は観光名所のヨルダン川が注ぎ込む地点から湖岸を西へ4キロほど行った地点で、弟子ペテロとアンデレの故郷でもありました(マルコ1:21, 29)。ここは当時、ヘロデ家の二つの分封領土の中間にあり、国境駐屯部隊の所在地でありました。百人隊(警備軍の一単位)がいたのもそのためでした。

 街は、生粋のイスラエル・ユダヤ住民が多く、ユダヤ教の習慣が守られていました。このことは政治上ギリシャ(ヘレニズム)化された近くの街、ガリラヤ湖西岸のティべリアスと比べると様相を異にしていました。ここでとりあげた「百人隊長の僕を癒やす物語」は、マタイ8:5-13の並行物語が、ルカ7:1-10、ヨハネ4:43-54にあります。元来はイエスの語録資料(Q)に保たれていたものです。

 さて、マタイの物語の引用のポイントはイエスの奇跡能力の強調にあるのではなく、伝統的ユダヤ教の街で、多くの人の信仰が形骸化してしまった中で、百人隊長(ユダヤ人ではなく、異邦人)の熱心で謙虚な信仰を強調するところにあります。

 百人隊長はユダヤ人の街に住む少数者ヘレニストであることを充分意識した上で、「イエスを迎え入れる資格がない」などとユーモアを飛ばしながら、その街の信仰的伝統に対する敬意の中に「神」に対する敬虔を表します。他方、軍務に於ける「言葉の権威」の性質を、人生のあり方に転化させる洞察力を持っています。「剣をとる者は剣にて滅ぶ」と語ったイエスが軍隊の機構を肯定するはずもないのに、マタイは、この軍隊の百人隊長の福音受容の姿を際立たせているところに物語引用の特徴を見ます。

 イエスが第何番目かの故郷とされたカファルナウムには、いろいろな信仰があった筈です。その中で「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ3:10)とのイエスの言葉に目を注ぎたいと存じます。

神戸 本町公園での仮設住宅と子供たち

 地震で文化、宗教、政治、経済が根底から揺れ動いた神戸、何番目かの故郷で、私はこの百卒長の如き人にたくさん出逢いました。教会の安否を気づかい、真っ先にバイクで訪れた求道者の青年。40キロ歩いて救援に来た神学生。建物の健在を自分のことのように喜んで下さった在日大韓教会の信徒の方や町内の方たち。「教団」の仮設プレハブによる支援活動を信じて、自治会事務所を要請した人たち。忘れ難い、神に「信」をおく故郷の人たちです。


(関連)「応急仮設住居」を通しての証し