1995年10月29日発行、神戸教會々報 No.143 所収、
降誕前第9主日
▶️ 故郷の信心《マタイ 8:5-13》
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
ナザレの村にて 主のすごしし
かくれし三十年(みそとせ) ゆかしきかな、
人知れぬ谷に 涌くいずみか、
森の奥ふかく 咲ける花か。
(讃美歌123番1節)
パレスチナ地方北部、ガリラヤのナザレがイエスの故郷であったことはよく知られています。
しかし、イエスが「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」と宣教活動を始めると、ナザレの村の人々はイエスを受け入れなかったと福音書は記しています(マタイ 13:53-58)。
故郷ナザレではイエスが大工の息子(マルコでは大工)以上の者であることは理解できなかったのです。
そして「人々はイエスにつまずいた」(マタイ 13:57、新共同訳)とあります。
“このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。”(マタイ 13:57-58、新共同訳)
パウロはこの「つまずき」という概念を大事にして「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの」(Ⅰコリント 1:23)と語ります。
”わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。”(Ⅰコリント 1:23-24、新共同訳)
「つまずきの石」とは元来、旧約聖書イザヤ書8章14節にある言葉です。
”主は聖所にとっては、つまずきの石、イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩、エルサレムの住民にとっては、仕掛け網となり、罠となられる。”(イザヤ書 8:14、新共同訳)
人々が神殿で国の安泰を祈った時、「主は聖所にとってはつまずきの石」と述べて、聖所に頼って安泰であろうとする人々の功利的信仰の在り方を批判し、信仰(宗教)の姿勢をただしたのです。
「つまずきの石」に積極的意味を持たせることは、旧約聖書以来一貫しています。
だから、故郷とイエスの関係においても、その同質性や閉鎖性を問う、逆説的な「つまずきの石」としてのイエスが強調されます。
ところが、マタイ8章5〜13節の物語には、これとは異なったニュアンスがあります。
”さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。”(マタイ 8:5-6、新共同訳)
第一に、イエスの故郷は「ナザレ」だけとは理解していないのです。
イエスがカファルナウムにほぼ「定住に近い拠点」をおいて活動したことが記されています。
「イエスはカペナウムに帰ってこられ」(マタイ 8:5、口語訳)、
「自分の町に帰ってこられ」(マタイ 9:1)、
「ナザレを離れ……カペナウムに行って住まわれた」(マタイ 4:5)
などの表現がそれを伝えています。
つまり、イエスには第二、第三の、いや「幾つもの故郷」が想定されます。
カファルナウムはガリラヤ湖の北西岸、今は観光名所のヨルダン川が注ぎ込む地点から湖岸を西へ4キロほど行った地点で、弟子ペテロとアンデレの故郷でもありました(マルコ 1:21、1:29)。
ここは当時、ヘロデ家の二つの分封領土の中間にあり、国境駐屯部隊の所在地でありました。
百人隊(警備軍の一単位)が居たのもそのためでした。
街は、生粋のイスラエル・ユダヤ住民が多く、ユダヤ教の習慣が守られていました。
このことは、政治上ギリシア(ヘレニズム)化された近くの街、ガリラヤ湖西岸のティべリアスと比べると様相を異にしていました。
ここでとりあげた「百人隊長の僕を癒やす物語」、マタイ8章5〜13節の並行物語は、ルカ7章1〜10節、ヨハネ4章43〜54節にもあります。
元来はイエスの語録資料(Q)に保たれていたものです。
さて、マタイの物語の引用のポイントはイエスの奇跡能力の強調にあるのではなく、伝統的ユダヤ教の街で、多くの人の信仰が形骸化してしまった中で、百人隊長(ユダヤ人ではなく、異邦人)の熱心で謙虚な信仰を強調するところにあります。
百人隊長はユダヤ人の街に住む少数者ヘレニストであることを充分意識した上で、「イエスを迎え入れる資格がない」などとユーモアを飛ばしながら、その街の信仰的伝統に対する敬意の中に「神」に対する敬虔を表します。
他方、軍務に於ける「言葉の権威」の性質を、人生のあり方に転化させる洞察力を持っています。
「剣をとる者は剣にて滅ぶ」と語ったイエスが軍隊の機構を肯定するはずもないのに、マタイは、この軍隊の百人隊長の福音受容の姿を際立たせているところに物語引用の特徴を見ます。
イエスが第何番目かの故郷とされたカファルナウムには、いろいろな信仰があった筈です。その中で「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ8:10)とのイエスの言葉に目を注ぎたいと存じます。
”イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」あなたが信じたとおりになるように。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。”(マタイ 8:10-13、新共同訳)
地震で文化・宗教・政治・経済が根底から揺れ動いた神戸、何番目かの故郷で、私はこの百卒長の如き人にたくさん出逢いました。
教会の安否を気づかい、真っ先にバイクで訪れた求道者の青年。
40キロ歩いて救援に来た神学生。
建物の健在を自分のことのように喜んで下さった在日大韓教会の信徒の方や町内の方たち。
「教団」の仮設プレハブによる支援活動を信じて、自治会事務所を要請した人たち。
忘れ難い、神に「信」をおく故郷の人たちです。
(1995年10月29日発行 神戸教会会報 岩井健作)