1995.10.22、神戸教会週報、聖霊降臨節第21主日
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
この日(1995年10月22日)の礼拝説教は、高道基先生(当時、頌栄短期大学教授)
使徒言行録 8:26-40、説教題「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」
1995年10月8日 神戸教会 秋期シンポジウム(参加者56名)
「近代日本とキリスト教 ー 海老名弾正の全体像」
《パネリスト》
杉井六郎(京都女子大学教授)
笠原芳光(京都精華大学教授)
中永公子(神戸教会員・キリスト教史研究者)
《パネリスト兼司会》岩井健作(神戸教会牧師)
海老名弾正、第8代神戸教会牧師 1893年(明治26)9月〜1897年(明治30)5月
去る10月8日(日)午後1時より、階下講堂にて岩井牧師司会のもと、シンポジウム「近代日本とキリスト教 ー 海老名弾正の全体像」が行われた。
パネリストは、杉井六郎先生(京都女子大学)、笠原芳光先生(京都精華大学)、中永公子姉、岩井牧師の4名。
中永姉は海老名が神戸教会牧師に就任するまでの経緯を詳細に辿られ、当時の神戸教会に海老名を招聘する強い必然性があったことを強調。
笠原先生は、海老名が思想の変化する人であったこと、清濁併せ呑むタイプの人であったこと、先進的な神学者であったことを、例を挙げて説明された。
その他、教育者としての巨大さにも触れられた。
杉井先生は、海老名と新島襄の間でやりとりされた書簡を紹介しつつ、新島に極めて大胆にものを言えた人であったことを、緻密に実証された。
海老名と新島、二人の関係が、いわゆる師弟関係を超えたものであったことを知らされ、驚いたことであった。
質疑応答の時間には、海老名の説教を実際に聴いたことのある方(K姉)の話も聞けて、興味深かった。
わずか4年足らず(1893年9月〜1897年5月)の在任であったが、海老名の自由主義的信仰や、全体を見ることのできる視野の広さは、現在の神戸教会にも地下水脈のように受け継がれ、流れているように思った。
一同、感銘深く、散会した時には、午後4時に近かった。
(サイト記)この報告記事には筆者の署名がないため、健作さんが作成にどれだけ関与したかは不明です。