1995年2月12日、降誕節第7主日、神戸教会週報
(阪神淡路大震災から26日目の礼拝)
同日説教「天災と責任」
前週「地震の後に(Ⅲ)」
(牧会36年、神戸教会牧師17年目、健作さん61歳)
雑誌を読むという感覚を失ってしまっていたところに、旧知のジャーナリスト・中川六平氏が訪ねてきて、「週刊金曜日」(1995年2月3日号)を差し入れてくれた。
(サイト記)中川六平さんと「ほびっと」について(「ほびっと」とわたし)
本多勝一「阪神大地震ー弱者を襲った『差別的人災』としての」
早川和男(神戸大学教授)「災害無防備都市・神戸はこうしてつくられた」
2つの論考を読んだ。
本多勝一氏は36年前の伊勢湾台風の時の朝日新聞記者・疋田桂一郎氏や藤田和夫氏(大阪市大名誉教授、地質・活断層研究者。芦屋市在住。地震時、神戸市立中央病院に入院中)の言葉を引用して、自然現象が差別的に弱者に襲いかかっている視点を鮮明にしている。
”普段は気がつかない世の中の矛盾や非情さが、いま漫画のように強調されて、むき出しになっている”(疋田桂一郎)
”だからね、近代型の都市開発を典型的に進めていた神戸市は、典型的に近代型被害で復讐されたとも言える”(藤田和夫)
早川和男氏の名については、地元にいながら不覚にも私は知らなかった。
氏の論考は、神戸市は「行政が《主人》の街」との視点を土台とし「問われるべき《神戸市都市経営》」につき論じ、今日まで行政が街づくりに批判的市民運動を潰してきたこと、これからは安心して住める街を「市民と共に」取り組むこと、「それを可能にするには、神戸市民が立ち上がるかどうかにかかっている」と結んでいる。
刺激的な文章である。
それにしても、震災以来テレビで一度も神戸市長が市民に語りかけたことを聞かない。
何か考え直さなければならない、と思う。
2月2日(木)震災から16日。
芦屋病院へA.T姉を見舞う。
2月3日(金)震災から17日。
アジア協会は、神戸教会を物資のこの方面の置き場にして、被災住宅に居住し続ける老人・障害者の訪問活動を行う。
A.K氏(東京・松沢教会員)滞在。
石井幼稚園訪問。登園児8名。
2月4日(土)震災から18日。
インド旅行中の止揚学園園長・福井達雨氏より安否を問う伝言あり。
続いて同園・吉岡幸治氏、羽賀亜希子さんがリュックに医薬品等をいっぱい詰めて支援来訪。
2月5日(日)震災から19日。
礼拝寒し。説教「局地の苦難」岩井健作。役員会。
2月7日(火)震災から21日。
大阪にて、教団救援対策本部委員会。
現地と委員会との調整。
2月8日(水)震災から22日。
大林組のM氏・T氏らによる、会堂塔屋部分の被災調査。
F夫妻を中心に、教会に集まった物資の整理、配布を臨時救援委員会のメンバー数名で行う。
アジア協会ボランティアは遺族会館避難者に教会を拠点に豚汁の炊き出し。
頌栄保育学院・酒井学長、阿部宗教主任来訪。
学園の被災状況、卒業式(3月28日神戸教会にて)のこと等につき伺う。
いずみ幼稚園は登園者25名。
(岩井健作)
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